空軍博物館再び三度
空軍博物館を見に行く機会があった事は以前に書いたが、冬に再び行く機会が訪れた。ハンスのいる研究室に新しく来た、オーストラリア人のポスドクのジャックというのが、ハンスと一緒に行くということだったので、ついでに一緒に連れて行って貰うことにした。何しろ空軍博物館にはかなりの数の飛行機が展示されているので、1回行っただけでは見切れないというのもあるが、是非見ておくべきだろうという飛行機を、前回はちゃんと見ていなかったからである。それは、長崎にFat man型の原爆を落とした、Bockscarと名のついたB-29である。もう一つのLittle boy型の原爆を広島に落としたEnora Gayは、スミソニアン博物館に置いてあるようである。
この時が2回目であったが、意外と見飽きない。よくもまあこんなに急速な進歩を遂げるものだと改めて驚くが、どうもその原動力が戦争の為なので感心できないという気持ちもある。一方、男の子なら子供の頃に戦闘機や戦艦のプラスチックモデルの幾つかは作った経験があるだろう事からも分かるように、速くて強そうな飛行機には、単純に、眺めてかっこいいと思うのも否めない。
そんなこんなで眺めていくと、遂に出て来たB-29。恨み重なる上野介。日本が帝国主義に走って侵略をしたことを正しいことと肯定する訳ではないのだが、かなりの数の市民を巻添えにした原爆投下も、正義とは程遠いものと思っている。第二次世界大戦集結間際、こうでもしないと、日本は後のベトナムの様に、年端もいかない子供や女まで狩り出して交戦を続けたであろうから、早期集結の為には致し方なかったと語らえるが、どうも癪ではある。新型兵器のテスト、来たるべき米ソ冷戦時代に備えての力の誇示など政治的目的があったのであろうから。パネルには、THE AIRCRAFT THAT ENDED WWII.の文字が。確か何年か前に、このような文字の入った原爆の記念切手が発行されようとしたところ、日本が抗議したというような記事を読んだ記憶があるが、それが広島のか長崎のか、又、発行中止になったかどうかははっきり覚えていない。まあとにもかくにも、長崎に原爆を落としたB-29の現物を目のあたりにすると、考えさせられるものがある。とりあえず機体を眺めた後、数発横っ腹を叩いた。意外と飛行機の鋼板は薄いので、へこみかねない。危ない危ない。
10分弱くらいのビデオテープを見せるコーナーも所どころにあるが、その中の一つに神風攻撃のものもあった。損害のあった戦艦、駆逐艦、巡洋艦など、それぞれ70から80とか結構な数である。戦争も終わりに近づき、熟練の飛行機乗りも減って、とにかく何が何でも敵の船に打撃を加えてやろうと神風攻撃が行われるようになったと聞いてはいたが、こんなに多くの神風攻撃がなされたとは思っていなかった。日本語を知らない外人でもKamikazeという単語を知っているのも成程頷ける。戦争は否定するが祖国の為にと散って行った方々にはご冥福をお祈りしたい。当時の敵味方含めて。
そのうち、ジャックがこれ見てみろよと言うので何を見つけたのかと思ったら、湾岸戦争の時にイラク軍からぶんどってきた旧ソビエト製の高射砲であった。横の方に銃弾の跡らしいのが見られたが、砂漠の嵐作戦の時のものであろうか。それにしても色々なものが置いてあるものである。今回も、結局閉館間際まで色々と眺めてから家路についた。
さて、3月半ばに、もう一度この空軍博物館に出かけることになった。東北大の橋本先生が、ボストンとサンディエゴで開かれた学会の間に、こちらオハイオ州立大を訪問、講演された翌日、1日どこか見物する暇があったからである。橋本先生には拙宅に泊まって頂いたのだが、この見物の前夜に家で立てた計画では、エリー湖でも眺めに行こうということだった。ところが、当日は生憎の雨だったので、屋内で見物の出来る空軍博物館に行くこととなった。こちらコロンバス周辺で、1日で観光できる適当な場所というのはあまり無いのが困りもので、同じ研究室のパトリックも、友達がやってくる毎に頭を悩ませているようだ。空軍博物館は一通り見て回って帰ってくるのに1日は費やすし、一度は見物する価値のあるところと思うので、パトリックも結構行ってはいるようである。戦前生まれの人にとっては、又違った感慨もあるかと思う。この日、橋本先生は、長旅と時差のせいかお疲れで、長時間費やすことなく、一通り眺めて、昼食をとった後に帰ることとなった。帰る頃には雪も降っていた。
帰国前にはもう一度位は又見にいく機会があるかも知れない。帰国して数年経って、又訪れる機会もあるかも知れない。その頃には、戦争に関わる飛行機でなく、宇宙開発とかに関わる平和的な展示物が増えていて欲しいものだと祈る次第である。
(Apr. 20, 1998)
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