空軍博物館

 ここOhio州DaytonにはWright Patterson空軍基地があり、そのすぐ横に空軍博物館がある。そこを11月に入ってから見に行くことになった。Hocking Hillの紅葉とかもきれいだと聞いていたので、ハイキングも良いなと思っていたのではあるが、秋の週末は天気に恵まれず、結局これは実現せずであった。博物館ならば雨が降っていても問題なかろうということで、もし天気が良かったらHocking Hill、悪かったら空軍博物館にしようということになったのだが、天気予報どおり、晴天には恵まれず空軍博物館行きとなった。
 同行はドイツ人のハンスとスイス人のパトリックである。ハンスは、今度は車は誰か出してくれという。夏のWest Verginia、Torontoとドライバーを勤めているのでもっともなところではあるが、この時私の車の右前輪のタイやには極小さな穴でもあるのか、圧力が徐々に下がり、週に1回ぐらいガスステーションで空気を入れるという有様だったので気が向かなかった。パトリックの車も調子が悪いという。そういう訳で今回も車を出してくれんかと頼むが、ドイツ人の頑固さかハンスも譲ろうとしない。バーストしても知らんぞよと念を押し渋々車を出すことにした。勿論、タイヤの心配さえなければ車を出すことに全く依存はないのだが。
 大体2時間位西に走ると目的の空軍博物館に着くのだが、高速を降りてから頼りとなる看板がえらく小さい。数十センチの小さな看板なんか車で走っていたら容易に見逃してしまうではないか。ハンスはこれがアメリカ人の気の利かないところだとぶつぶつ言う。飛行機のパイロットは目が良い筈だから、その基準でついつい空軍博物館の看板も小さくて良いと思ったのだろうなどといい加減な解釈をして、懸命に目を凝らし、無事迷うことなく目的地にたどり着いた。道に迷ってうっかり空軍敷地内にでも入ってしまうと、見張りの兵隊さんに、ちょっと君々、と注意されてしまいかねない。
 広い敷地内には大きな建物もあるが、外にも結構な数の飛行機が並んでいる。また、庭の様な所には、記念植樹された木が多数植えられており、結構大きく育っている。各々の木の前には、何々航空隊のものだとかいうプレートが見られる。中にB-29のものもあったので、「こいつぅ」とばかり踏みつける仕草をすると(無論実際に踏みつけはしないが)、中立国スイスのパトリックは、まあまあ・・と。友軍ドイツのハンスは「やっちまえ」等と言うことはなかったが、石碑に刻まれた、アメリカ紳士がステッキで地面に置かれたハーケンクロイツを突き刺している漫画的な絵を見て、またぶつぶつ言っていた。このアメリカ紳士は犬で、タキシードかなんか来ており、ステッキを片手に、もう一方の手にはグラスを掲げている。そのグラスの中には裸のお姉ちゃんが腰を沈めているというものである。ステッキの刺さったハーケンクロイツからは血が流れている。ハンスもナチスに後ろめたさは感じても、やっぱりこんな絵を見ると癪に触るところはあるのであろう。爆撃機の前部側面にペイントされた、ビキニのお姉ちゃんがウィンクしてる絵を見ても、ハンスは又ぶつぶつ言っていた。アメリカンの感覚は分からんと。ドイツではこんなの描かないと。勿論日本でもこんなペイントは冗談でも描けなかった事は間違い無い。悲壮な決意を持って搭乗したであろう飛行機にはなんともそぐわないではないか。アメリカ軍の余裕の現われか?とは言っても、如何に優勢であったにしろ、それなりの決意を持って戦地に赴いたのであろうから、いくら御陽気なアメリカンとはいっても、ちと解せない気はする。御陽気にでも振る舞ってないとやってらんないぜぇって感じでもあるのだろうか。ところで記念碑や何かには、アメリカの正義と誇りのために戦った云々というようなことが書かれていたりするのだが、ちょっと癪ではある。
 さて、そんなこんなで外に展示された飛行機を一通り眺める。ハンスは暫くドイツ軍のユンカースに見入っていた。博物館の建物の中に入る頃には雨も降り出し、最初に外を見ておいて正解であった。建物の中には相当な数の飛行機が並んでいた。天井からワイヤーで吊されているものも結構ある。パンフレットによれば150あまりの飛行機が展示されているというから相当なものである。
 古い時代の物から順に見ていくことにした。レオナルド・ダ・ヴィンチのデザインしたもののパネルなどを過ぎ、初の動力飛行に成功したライト兄弟のコーナーに行くと、実物大の模型も置いてあった。実際に彼等が使ったという木製のプロペラや販売した自転車も置いてあった。そう言えばライト兄弟は自転車屋であったなあと思い出す。
 一度動力飛行が可能となると、その後の発展は目覚ましい。旅客飛行機なんかの前に、もう偵察やら爆撃といった軍事目的で使われ始める。人間の性というのか業というのか。元々は鳥に憧れて発明されたものであろうに。操縦席が篭のようであったものがすぐに今の飛行機の形に変わっていき、フルメタルとなり、複葉機が単葉機となる。第2次世界大戦の頃には目覚ましい進化を見せる。50年代にはジェットエンジンの技術が相当進んだようである。
 第2次世界大戦のコーナーには、真珠湾奇襲や山本五十六関係など日本軍の解説も勿論あるが、日本の飛行機の実物の展示は無かった。ガラスケースの片隅には、日本兵の所持品として「兄さんの武運長久を祈ります 妹より」と墨で書かれた鉢巻があった。ふと手を合わせる。
 さて、大戦後飛行機はますます進化を遂げ、より形がシャープになっていく。そのうちデルタ型の物も出てくる。なんとステルスも展示されていた。別に「お手を触れないでください」の看板も無いので、コンコンと翼を叩いてみる。ステルスは結構新しいものかと思いきや、もう70年代には使われていたものらしい。さすがStealthと言うだけあって、最初は秘密裏に飛んでいたのであろう。現在飛んでいる最新の公表されていない偵察機などは、もっと意外な形をしたものなのかも知れない。ステルス型の開発に先だって作られたモデル飛行機の展示もあって興味深かった。
 宇宙開発関係の展示もあり、スペースシャトルの開発に先だつ実験に使われた、飛行機に接続して高高度から飛ばした小さなロケット、また、アポロ15号の帰還用のカプセルの実物もあった。こんな小さなカプセルで天から降って帰ってきたと思うと結構な驚きである。焼け焦げたような表面が大気の摩擦のすさまじさを物語る。
 以上の一通りを昼食を挟んで眺め、その後に基地内にある別の展示場に車で移動した。通行証みたいなものを貰ってその展示場に入って行くと、適当に見て行けと入り口を示される。こちらの展示場、と言うよりも倉庫と言った感じの建物の中にも結構な数の飛行機が置いてあった。攻撃ヘリもなかなかの迫力。聞いたことのある名前の飛行機も幾つかある。軍関係の飛行機好きには垂涎物の博物館である。
 そうこうする内、閉館時間も近づき帰路に着くこととなった。後日、研究室の秘書さんに行ってきたことを話すと、友達に行こうと誘われたりはするのだけど一度も行ったことが無いとのことであった。人殺しの為に使われたような飛行機は見たくないのだとのことで。確かに空軍博物館だけあって、展示されているのは殆ど軍事目的の飛行機なのだが、日本人もドイツ人も見に行ったのだからまあ一回位行ってもバチは当たらない気もする。飛行機や、また宇宙技術でさえ軍事目的で発展するというのはなんともやるせない感じはするが。日本では近年大型の人工衛星用のロケット打ち上げに成功しているようで日本人としては喜ばしい。どうしても宇宙技術はアメリカが先行してしまうのは仕方無いが、ここら辺で日本の技術力を多いに発揮して戴きたいものである。頑張れNASDA!日本製のシャトルが宇宙に旅立つ日が来るのが待ち遠しい。
(Jan 22, 1998)

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