車のドアが壊された!

 もう暫く前の事であるが、8月下旬の頃だったろうか、その日夜8時半位、家に帰るために大学のガレージへ。日本での帰宅時間はもっと遅いのが常であったが、こちらではその時間帯は遅いと言ってよい。さて、運転席側の鍵穴にキーを差し込むかと見やると、ドアがわずかに開いている。あれ、鍵をかけ忘れていたのかな、それで誰かに開けられちゃったのかなと思いつつドアの鍵を見ると、なんと鍵の部分がすっかりくりぬかれている。なんということ!やられた!しかし、流石に日本に比べたら治安の悪いアメリカの事、思った程の憤激も湧かず、こんなこともあるかと思えてしまったのが逆に情けない。まあ日本でも所によってはたまに有ると言うが、しかし大学構内の駐車場で深夜でもないのに鍵をくりぬき物盗りを狙うとはなんともはや。車に重要なものは入れてないので、盗まれたものは何もなかった。ハッチバックの車で中が良く見えるし、ろくなものなさそうな事位分かりそうなものなのに。
 実は、この時ショックがさほどでもなかった理由はもう一つある。さらに以前の事、97年11月頃、以前に書いた、Americn footbllの試合を見に行ったときのことである。この日大学の南の方に車を停めていたが、帰りがけ見てみると、なんと助手席側のドアロックがくりぬかれかけていたのである。丸型のその鍵の下部が、マイナスドライバーの様なものを使ったのであろうか、こじられており、穴になっていた。鍵自身は壊れておらずその後も鍵として働いてくれたのではあるが、その後心配になり、ハンドルロック(ハンドルとクラッチに引っかけるステッキ状のもの)を購入して暫くかけていたりしたものである。このハンドルロック、初めて見たのはポーランドであるが、アメリカにもやはりあったか、という感じである。車そのものを盗まれにくくするのには有効だろうが、物盗りには効き目も無い。まあ気安めの様なものである。その後程なくして面倒になって使っていない。
 さて、8月の鍵がくりぬかれていたのと同じ日、同じガレージで、物理系のアリファさんの車もやられていたそうだ。先の項でウルスラさんの事を書いた時に登場している、アリファさんである。コロンバスを離れる間際に、気の毒な事である。何が気の毒って、彼女の場合、窓ガラスを割られていたというのだから。いやはや。有りうる事かと思ったし、憤激も湧かなかったものの、いざ自分の車と知り合いの車がやられてみると、やはりアメリカ自体の印象がちょっとは悪くなったのは否めない。世界の警察を気取る前に、国内の治安をしっかりせんかい、と余計な事も頭に浮かぶ。
 その後、暫くはそのくりぬかれた鍵はそのままほったらかしにしておいた。又同じ用な事があるなら、修理しても無駄だとやや悲観的にも感じたし、一応鍵はかかったので。助手席から開けねばならぬので面倒ではあったが。くりぬかれた穴から何かを突っ込んでうまくすると、簡単に開けられそうであるので、車を盗まれてはいけないと、ハンドルロックはかけることにしていた。
 一ヵ月位そのままにしておいたであろうか。しかし、研究室のパトリックが車を修理に出すというので一緒に行った時に、結局ついでに修理を頼むことにした。大学との往復だけに使うのでないので不都合だし、そのうち帰国する前には売る予定なので、鍵が無いのではまともに売れないし、第一格好も悪いしで。頼んだ修理屋はパレスチニア人の兄弟の経営する、一見なんとも怪しげな所であるが、無愛想に見えるそこの親父も存外親切な感じであった。くりぬかれた部分に元のキーが使える新しい鍵を付け、塗装をし、ついでに車の横の擦った後にも塗装を施し、しめて$250位だったと思う。日本での修理や、こちらでも自動車会社系のメンテナンスではもっとかかりそうなものなので、まあ安く上がったのではなかろうか。仕上がりは、一見何も無かったかの様である。
 この修理の際、一応領収書をくれと言ったら、領収書を作ると、税金がかかってそれが上乗せになるのでそれでもいいかという。それなら無論いらないので貰わなかった。お互い安く済めば越した事はない。カードを使わない現金払いも会計の不透明さの為であろう。この親父、税金払ったらどうせイスラエルにいっちまうんだとぶつくさ言っていた。なんともパレスチニア人の悲哀を感じさせる言葉ではあった。
 その後、車は壊されることもなく無事に動いているが、帰国までこのままでいてくれて、いい値段で売れてくれることを願う次第である。

(Janurary 4, 1999)

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