クリスマスイヴ

 小さい頃、クリスマスの日、神様はサンタクロースであった。日本でもクリスマスは祝われるが、子供達がプレゼントを期待する日であり、恋人同士がデートする日で、宗教的意味合いはどうでもいいやと思う人の割合の方が多いであろう。98年12月24日、初めてクリスマスの日に教会へ行く事になった。私はキリスト教徒でないので、只誘われたし、興味本位で見てみようという積もりで行っただけなのであるが。
 夜に教会に行く前に、北にちょっと行った所の公園を散歩。メンバーはパトリック、シャオフイ、フェイである。昼頃フェイが引っ越して直ぐのアパートに集合。彼女の母親もそこに滞在中であったが、私達が帰ってくるまでに簡単な食事を用意しておくという。私にmussel(ムール貝)スープを作っておくからと言ったのだが、私は「・・・muscle(筋肉)スープ・・・?」、何だろうそれはととぼけた想像を頭の中で巡らせていたが、聞けば貝のスープということであった。発音はmusselもmuscle同じなので仕方がないではないか。
 暮れの頃の事でるから、外は結構な寒さであったが、散歩するのはなかなか気持ちがよい。池は凍っており、その氷の上を鴨がぺたぺた歩いているのも可愛らしい。ひとしきり散策をした後、帰りがけにその公園の近くの小さな街でケーキとお茶を。シャオフイは一旦自分のアパートに用事があって戻った。私達がフェイのアパートに戻ると、件のムール貝スープは既に用意されていた。そのスープはミルク仕立てでなかなか美味しかった。昼食抜きで散歩していたし、外を歩いて体が冷えていたのもあるであろう。食事の後、夜までアパートに帰って一休みしても良かったのだが、結局フェイのアパートでダベっていたら、そのうちシャオフイが戻ってきて、なんだ皆まだいたのかと。
 そしてそこで又くつろいでいるうちに夜になり、パトリックとフェイが適当な教会を下見して帰ってきた後に皆で出かけた。ミサが始まったのは11時位であったろうか。教会に行ってみるとなんとなくクリスマスっぽい気がしてくる。教会の中に入る機会はいままでそれ程なく、日本でも数えるほど、ポーランドで聖堂を見た程度で、なんだかその雰囲気も新鮮である。ドアを入ってすぐの所に水が張ってある金属の器が置かれていた。ちょうどスタンド式の灰皿のような感じなのだが、こりゃなんだろうかと思っていた。帰りがけに、その器の水を指にちょいと付けて祈るようなポーズをしている人を見かけたが、何やらそういうものなのであろう。灰皿に使っていたら大バチ当たりなところであった。
 ミサでは賛美歌の何曲かが歌われた。真似してちょっと歌う。フェイが後に賛美歌知っているのかと聞くが清しこの夜位なら知っている。もっともその他は知らないものだった。賛美歌の後には神父さんのお説教があり、そうこうするうち0時を回ってクリスマスの日となった。クリスマスを教会で迎えるという初めての経験であった。教徒でないので、ふーん、こんな感じかと表面を見たに過ぎないが、なんとなくの雰囲気を味わえたのは面白かった。
 そして帰途に。帰りの車の中でフェイの母親が私の宗教は何だというから神道だと答える。家のがそういうことになっているしで。海外で宗教を聞かれた時、何もないというよりは何かいっておいた方が良いという話もある。神道だと言ったまではよかったが、どんなのだと聞かれて答に窮する。自然崇拝で先祖を祭って、神様の数は八百万とやたら多くて・・・。教義、経典がないので困ったものである。台湾人のシャオフイはこれといって真面目に信仰している訳でもないが一応タオだと。道教の事だろうか。これも老子の教えや、仏教、儒教などが混ざって出来た民間信仰なので、説明が難しい。信仰の程度としては、日本人の私と同じ程度のものなのでろう。
 クリスマスが近くなると、家々の飾りはなかなか見事である。家に電飾を付けて見たり、大きなツリーを飾ったりと、なかなか見事である。その時期スーパーマーケットは種々の飾りが売られ、なかなかの壮観であるが、飾りは中国製のものが多く、アメリカの対中国赤字の一因となっている。それはともかく、クリスマスの時期の家々の飾りは一見の価値ありである。教会の近くに割りと高級な住宅が多く、飾りも華やかであったので、そこで写真を撮ったりした。
 そんなこんながクリスマスイヴの日の出来事であったが、キリスト教徒の割合の多いアメリカで、ちょっとその雰囲気に触れるのは面白いことであった。翌日のクリスマスには、又パーティーがあったのだが、それは次の項で書くことにしよう。

(April 14, 1999)

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