ハンス
先に書いたHocking Hillsでのハイキングから間もなく、ハンスはドイツへと帰っていった。アメリカに来たのは私と2日くらいの違いであったか。わたしは結局こちらで2年間ポスドクをすることになったが、ハンスは1年で終えることに。ポスドクの大概1年契約なものだから、入れ替わりも多く、悲しいことに、せっかく知り合ったのに、親しくなったと思ったらすぐに別れが来てしまう。スカッシュを一緒にしていたスティーブも、トロントに一緒に行ったりしたカーティスも、体のごついブライアンももうこちらを去ってしまっている。
さて、このハンス、もう1年、カリフォルニアの大学でポスドクをするという可能性もあったようだが、最終的にはドイツに帰ってptent lawyerの資格をとるための勉強をする事になったようだ。日本でいうところの、弁理士みたいなものだろうか。
彼は、大学の近くに住んでいたのだが、帰る間際の1月ほどはちょっと離れたところに引っ越した。契約の期間が切れたが、1月だけの延長というのが出来なかったのがその理由である。いろいろと短期間住めるところを探していたが見つからないようだったので、なんだったら私のところは2 bedroomsなので来てもいいぞといったのだが、結局適当な所が見つかったようである。
彼の去る直前、彼のアパートで送別会を。彼の所属するのは有機化学の分野で有名な教授の研究室で、ポスドクが25人だか何人だかと、とにかく大所帯なので、結構な人数が集まっていた。その中の一部はハンス経由で既に知り合っていたが、会ったことのないのも大勢いた。やけに多国籍なのがアメリカの大学の面白いところであろうか。飲みものは持参ということだったが、皆ビールを持って来るものだから、もうビールだらけに。いくらハンスがビールの国ドイツの人間でも、余った分を帰国前に一人で飲み干すとは思えない。
その送別会の2、3日後だったろうか、ハンスがColumbusを去る前日、こちらの研究室に顔を見せると言っていたのに現われなかったので、そのまま別れるのもなんとなく寂しいということで、夜中であったがアパートまで会いに行った。翌日出発という割には、まだ荷造りが終わっていないようであったが、ひとしきり話す。荷造りや手続きや何やらで忙しく、こちらには顔を出す暇が無かったらしいが、翌日出発の前に大学には顔を出すということであった。それじゃあ又明日ということで帰宅した。ハンスの使っていたフットスタンドを$10でこの時買い取ったのだが、これは現在寝室で利用している。
翌日昼前にハンスはこちらに現われ別れを告げることとあいなった。時間があったら午後にも姿を見せると言っていたが、残念ながらその暇はなかった様である。もう一度現われるのをちょっと期待していたので、See you later.程度の軽い別れの言葉が最後になってしまった。今頃はどうしているのであろうか。
ゴルフやボーリング、スカッシュや旅行など、いろいろ一緒に行ったものだが、流石にいなくなってみると寂しく感じられる。ドイツ語なまりの英語や、スポーツをする時のちょっと無気になったような真剣な表情が懐かしく思い出される。世の中広いようでも意外と狭かったりするので、ひょんな機会に又会えるとよいのだがな、と、思う次第である。
(August 21, 1998)
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