Hocking Hills
4月の中旬に、Hocking Hillsに出かける機会があった。Columbusの南、車で1時間半から2時間位の所である。本当は秋に出かけようと思っていたのだが、週末に天気がさえずに、のばしのばししていたら、結局冬になってしまい、去年のうちには行くことがなかったのだが、この滞在記によくでてくるところの、ドイツ人のハンスが、ドイツに帰る直前であることもあって、その前に行こうぜ、ということになったのである。同行は、このハンスとパトリックであった。今回車を出したのはパトリックである。ハンスも私も、何処かに出かける際に出しており、今度はパトリックの番であるとハンスが主張したためである。そんなきっちりしたところがなんともドイツ人っぽく感じられた。
この日は天気もまずまず。Ohioには今一つ高い山はなく、はっきりいって平らで地形的には面白味にかけるのだが、それでも久しぶりの自然の中のハイキングは結構気持ちのいいものである。Hocking Hillsの中には何箇所か駐車場があって、そこに車を停めてはtrailに沿って森の中を歩くという具合である。軟弱な地盤が長年の間にけずられ、そこら中に崖が出来ていて、滝が流れている。そんなに大して大きな滝がある訳でもないのだが、結構眺めとしてはよいだろうか。車を降りてちょっと歩いて滝なぞ眺めて戻り、又次の所に車を停めて歩いて、の繰り返しである。途中、持参の弁当を食べて一休み。そして又山歩きである。
この日、そこそこ観光に来ている人も多く、同じ様に順番にtrailを回っているらしい人に何度も出会ったりした。たまたま、同じ研究室にいるインド人の女の子も別口で来ており偶然出会ったが、へえ、奇遇だねえと思う反面、観光資源が今一つ少ないせいかなどとも思ったりした。
Old man's caveと呼ばれる結構広い窟は、確かに人でも住んでいたのではと思わせる風情があった。ちょうど、弱い地層が削られて、へこみを形成するのだが、屋根のように残った岩から流れ落ちる滝は結構きれいであった。その近くに、黙々とギターを弾いているおじさんがいたのだが、なんとなくその自然にマッチしたようなメロディーが不思議な雰囲気を醸し出しており、caveの中に座って一休みしながらそれを聞く観光客も多かった。
何箇所か滝のあるところを巡ったのだが、まあ、それぞれそんなに大きな違いがあると言う程でもなかった。しかし、滝巡りも最後の頃、面白い風景にであった。10数m程の崖から流れ落ちる滝の下の池に、滝の半分程の高さの大きな岩があり、これは途中で半分程に割れていた。この風景の何が面白いかと言うと、この岩が揺れて見えるのである。最初、この岩に人が乗っていて揺れて見えたときにはびっくりした。もしやこの岩が微妙なバランスをとったやじろべえの様に池の底に立っているのではと思った程だ。しかし、直ぐに錯覚であることに気付いた。自分が目眩でも起こしているのかとも思ったが、そうではなく、滝をしばらく眺めてからその岩を見ると、うにょーっとその姿が歪み出すのである。思うに、滝を眺めているときに、目は自然と水の落ちるのを追い、水が池に落ちるとまた視線が滝の上部に移るというように、無意識に上下運動をしているのだ。暫くその視線の上下運動を繰り返した後に静止した物を見ると、まだ視線が上下運動の名残でふらふらしているために、静止しているはずの物が歪み出すように見えるのだろう。その岩だけでなく、崖の岩肌でもその歪みは生じるのだが、とりわけ、例の岩の歪みは際立って見える。岩の大きさが滝の大きさに近いのと、こちらからの距離が同じ位である為かもしれない。
この錯覚は自分だけでないことを確かめるためにハンスを呼んだ。あの岩を動かして見せるから、まずあの滝を10秒眺めろと。その後、あの岩を見てみろというと、思ったとおり、おお、なんと!とびっくりしたようである。今度はパトリックにも見せると、やはり同じ錯覚を起こした。今まで、日本でも滝は幾つか見てきたが、この様な錯覚に気が付いたことはなかった。こりゃあ、ナイアガラの滝だったら凄いことになるな、なんて冗談を言ったが、ナイアガラを見てとんでもない錯覚が起きた記憶はない。ただ、ちょっと見物に行った時に、極軽い目眩を感じた様な気がするのは、同じ原理の錯覚のせいだったのかも知れないと思う。この岩の場合、ちょうど滝との位置関係が岩が動く錯覚に適しているのかも知れないが、ともかく、この滝は私の中ではHocking Hillsの隠れた名所として印象に残っている所である。
このハイキングが、ハンスと外に遊びに行く最後の機会となった。既にハンスはドイツに戻ってしまったが、今頃どうしているのやら。
(August 20, 1998)
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