New Hampshire

 New Hampshireには、7月の頭に、Gordon conferenceに参加するために訪れた。フルサイズのレンタカーを借りて行ったのだが、なにせ5人が同行したので流石にきつい。なぜ車で出かけたかといえば、実は主な理由はbossのProf. Frankelのサイクリング用の自転車を運ぶためである。まあ、旅費も飛行機でいくよりは若干安くつくかも知れない。Prof. Frankel及びProf. Buchheitは飛行機でボストンに飛んでからレンタカーで。こちらは遠路はるばるなので前日の朝に出発であった。車で行くと、休憩を含め18時間程かかる距離であろうか。
 同行はスイス人のパトリック、インド人のラムゴの他中国人学生2人。ラムゴはベジタリアンのくせにかなり太った体形で、助手席に座ることとなった。後部に3人は流石にフルサイズの車でもきつい。足も伸ばせないのが辛いところである。学会ではポスターセッションでの発表があったのだが、短時間のオーラルの発表もあってOHPのシートも用意したのだが、夜中に誤字など見つけてしまったので気になり、早朝大学に出かけて修正したりしたので殆ど寝ていない。そこで、運転はパトリックに任せて、暫く車内で寝ることとした。疲れたら交代するからと言っていたのだが、結局、彼がずっと運転し、夜中に途中のモーテルで一泊。翌日も彼が運転で目的地にたどり着いた。
 学会ではお馴染みの日本人の橋本先生、柴田先生、小川先生、春名先生等にお会いできたし、以前慶應で会ったことのある、流暢な日本語を喋るオーストラリア人のグレンさんもいる。更に、会場のある大学の庭を歩いていると、日本人ではなさそうなアジア人が3人おり、日本語で声をかけてくる。おや、と思ったら中国人の武さんであった。残りの2人は韓国人で、ユンさんとキムさん。武さんとユンさんの方は日本で学位を取ったしで日本語はぺらぺらである。武さんは高専に勤めているのだが、最近日本に帰化されたということで、日本ではそれまで「ぶ」さんであったのが「たけ」さんになったそうだ。アメリカではTakeがテイクになって困るそうである。彼等3人は現在MITに留学中。キムさんは日本語は話さないので、3人の会話ではユンさんが間に入って日本語が使われることが多いそうだ。なんだか妙な感じではある。そんなこんなで、日本語を話す人が結構多く、アメリカで行われた学会なのに、むしろ普段の生活でよりよっぽど日本語を話した感がある。
 この学会、なかなか面白いのは、午前中に講演、4時半だったかからポスターセッション、夜は12時近くまで講演が続いたりするのだが、昼食の後には適当に過ごす時間があるのである。2日目の昼は恒例となっているという近くの山に山登り。New Hampshireにはどんな産業が発達しているのか知らないが、会場の大学のあるNew London周辺は山と森の田舎である。Ohioには大した山もないので、久しぶりに山の頂上に登ってみはるかすのは気持ちがよかった。次の日はMITの連中とテニス、その次の日はサッカーと結構運動になった。サッカーをご一緒した小川先生が、その歳に似合わずと言っては失礼かも知れないが、やたらとお元気に走り回る姿にはいたく感心した。西洋人は西洋人でなかなかタフである。どうも研究者は不気味な体力を持っている人が多いのかも知れない。近くの湖に行って泳いだり、ゴルフをしたり、はたまたサイクリングに出かけたりと、皆思い思いに午後の時間を楽しむ様である。堅苦しいばかりでないこういう形式の学会は日本ではなかなか見られないが、研究者同士の付き合いを深めるのに良いなと感じた次第である。
 ところで、宿泊は会場のある大学の宿舎を利用するのだが、同室はカリブからFlorida Univ.に来ているというケリーという学生であった。数日同室になるというと、どんな奴か気になるところであるが、なんだか気のいい感じで、しかも、彼の発音が、何故か日本の東北の訛りそっくりに響くものだから、余計純朴な青年に思えてしまった。その発音をここでお聞かせできないのが残念である。
 このケリーの他、インドから来ていたサンドララジャンと知り合ったり、東北大に来たおりには松島に案内したスウェーデンのレイグラフ教授に久しぶりに会ってお話ししたり、イギリスのニューマン教授と話したりも良かったし、前述のグレンさんに久しぶりに会えたのも良かった。彼は、会う度、「どうですか」と声をかけてくるのだが、どうも、英語の「How are you doing?」をそのまま日本語に置き換えているような気がするのだがどんなものだろう。夜中に、武さん、ユンさん、キムさんのMIT衆と春名さんとでビールなど飲んでダベったのも楽しかった。私が韓国の女優、チェ・ジンシルさんの事を知っていた事からその話題でも結構盛り上がった。
 さて、学会も終わると、Columbusに又ドライブして戻らなければならないのだが、これがなかなか大変だった。というのも、その前日パトリックが夜遅くまで飲んでいて、2時間程しか寝ていないというので私が運転したのだが、結局全行程運転する事になったのである。行きは途中で一泊したのだが、帰りは宿泊無しである。途中、Niagaraに寄って滝を眺めるなどして、結局到着は朝方。20時間かかったのである。アメリカにいると、長距離運転の機会も増えるが、流石に20時間の経験はなかった。レンタカーを返す都合があったのだが、それが無ければ、ボストンにちょっと寄って見物でもしたかったが仕方が無い。もっとも、最終日の夕食ではロブスターが出たので、ボストンでの目的の一つ、海産物が食べたいというのは満たされていたのでまあいいかと諦めた。
 日本にかえってからも、機会があれば又参加してみたいものである。その時には、ボストンの空港からレンタカーを借りるとしても、せいぜい2時間程のドライブで済むであろう。

(August 29, 1998)

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