オクトーバーフェスティバル
9月のはじめの週末にオクトーバーフェスティバルがダウンタウンの近くのジャーマンビレッジで催された。これはドイツの祭だが、Columbusにはドイツ系の移民が多いので行われるらしい。ドイツ人のハンスに誘われて見に行く事になった。一緒に行ったのはハンスの他、トロントへの旅に同行したスティーブ、セリーヌそしてカーティス。金曜、土曜の二日続けてこのメンバーで。両日とも9時に集合ということで。
ちょっと風邪気味であったのと、この夏の頃、毎週末には何処かに遊びに行く計画ばかりで、ただのんびり過ごす休みがなかったので、実はいま一つ気乗りがしていなかったのであるが。しかし、カーティスが間もなくオーストラリアに移住する為、もう会うこともなくなるので、行く事にした。
広場のようなところに出店が何軒も出ており、バンドが演奏する舞台が3箇所ほど作られていた。結構な賑わいである。食べ物屋の他、何やら民芸品の様なものを売っているところもあった。日本の祭の様に、御輿が出たり、烏賊焼き、焼そば、金魚すくいの出店が無いことは当り前なのだが、子供が少ないような気がした。バンドが演奏している前では人々が踊っている。別に民族衣装を着た人が民族舞踊を踊っている訳ではなく、屋外ディスコの様なものだろうか。
真っ先にカーティスが踊りに加わる。彼はインド人なのだが15年位アメリカで過ごしているので他のインド人よりはずっとアメリカ人的である。大汗かきながら踊っている。皆しばし傍観していたが、ちょと加わってみることにする。因に私が音楽に合わせて踊るという行為をしたのは小学校の運動会の出しもの以来ではないかと思う。どうもこうぎこちないというかなんというか。見よう見真似でと思うが皆てんでんばらばらに適当に踊っているのでどれを真似したらいいのかも分からない。まあ、どうせ適当ならどうでもよいかと踊って見る。フランス人のセリーヌはこの時踊りには加わっていなかった。
夜の12時でこの祭は終わるのだが、その時間までそこで過ごす。さてそろそろ帰って寝ようかなというところだったのだが、セリーヌはこれからダウンタウンのディスコに行こうと言い出す。踊っていなかったので体力を持て余していたのであろうか?夜中のダウンタウンなんてなんだか物騒な気がするし、風邪気味のところ踊ったせいもあって、どうしようかなーという感じではあったがまあいいかと。スティーブは疲れたとのことで歩いて帰ってしまったが、ハンス、カーティスは付き合うことに。ハンスの車で来ているので、まあハンスがいるというなら仕方あるまい。
そのディスコ、バナナジューズという名なのだが、夜中というのに結構な混雑である。入るまでにしばし並んで待つ。入場は無料なのが日本とは大きく違うところだろう。中の雰囲気の違いは書きようがない。なにせ日本国内外あわせてディスコに入るのはこれが初めてなのだから。入場料以外に書けることといったら、店の外に警官が立っていること位だろうか。
中に入って見れば大変な混雑である。個人的には音楽の五月蝿くかかっているのは好みでないので、家に帰って寝たいなというのが正直なところ。それにしても何でまたこんなに人がごった返したところに集まりたがるんであろうかと不思議であった。大体踊ろうにもせいぜい体を揺する位しか出来ゃしない。これだけ広い国土を持ったアメリカ人が何を好きこのんで集まるのか。何しろ日本人に比べるとごついのが多いので余計むさ苦しい。新宿のラッシュアワーの中で踊っても変わらないのではないだろうか。
一回りその混雑の中を歩いて眺めていると、同じ学科のグラントを見つけた。お前なんでこんなところにいるのだという顔をしているがそれはお互い様。結構客の中にもOSUの学生が多いのかもしれない。さて、そんなこんなでいるうちに2時となり帰ると決めた時間に。ハンスに送って貰って家に着き休んだ。
翌日は午後からハンス、カーティスとゴルフの打ちっぱなしへ。そして夜になってから又オクトーバーフェスティバルに。この日は体調も良くなりつつあったし、2日目ということもあって結構踊った。セリーヌも加わる。それにしてもカーティスは良く踊りまわる。舞台の一番前にいって激しく動き廻っている。つられて我々も前の方に。最初はロックバンドの方にいたが、ちょっとしてドイツの音楽らしき方に移った。アコーディオンがメインなあたりが何となくヨーロッパっぽい。何やら金属製の洗濯板のようなのを胸にあてて、それをスプーンか何かでこすってリズムを取っている奏者もいる。
もうカーティスは飛んだり跳ねたり。一緒になって踊ったので結構汗をかいた。ハンスもスティーブもセリーヌも踊った。見知らぬ人も一緒になってラインダンスのように肩を組んで踊ったり。結局この日も12時までいてから帰った。ハンスの車で、セリーヌを送った際に家の中を見せて貰ったが、なんだか飾り付けが洒落ていた。流石パリジェンヌ。
さて、このカーティスと会ったのはこの日が最後となった。彼は翌日からアメリカ国内を旅行した後、家族の住むオーストラリアに出発。オーストラリアに発つ日の夜、行き着けのバーに現われるとの事だったが、時間がとれなくなり現われなかった。その日、テネシーに住んでいる知り合いの吉見さんが、日本から学会の為に来ていた野村君と遊びに来てくれていたところをわざわざ会いに行ったのだが、残念ながらカーティスに会えなかった。 彼と過ごしたのはわずかな時間であったが、なんだかいなくなると寂しく思える。気さくで良く喋る明るい奴であった。ちびで天然パーマでイタリア音楽を好む面白い気のおけない奴であった。インド人の英語は独特の癖のある発音だが、彼はアメリカに長いせいか、英語らしい発音をしていた。家族の住むオーストラリアに住むことになったが、オーストラリアではあまり化学工業が盛んでないので就職がどうなるかと心配していたが、今頃どうしているであろう。
ポスドクというと1年毎の契約であるから、知り合っても暫くすると別れねばならなくなる。イギリスから来ているスティーブもColumbusを離れるまで、もう1月もない。彼はその後はスコットランドでポスドクをもう1年するそうである。オーストラリアにしろスコットランドにしろ、えらく遠い所であるから、わざわざ会いに行かない限りは一生会うこともないであろう。そのうち自分も日本に帰ることになる訳だが、いろんな国のいろんな連中と出会えたことを有難く思い出すことになるに違いない。皆元気に生きて欲しいものである。
(Nov 28, 1997)
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