パーティーパーティーパーティー(その一)

 98年の暮れは、何かとパーティーの機会が多かった。日本でも年末になると忘年会やら何やらの機会が多くなるが、日本で一般的な外での飲み会という感じではなく、パーティーが数多かったのでその模様について今回書いてみようと思う。これを書いている現在は99年の4月で、ちょっと記憶が曖昧になってしまっているのが残念であるが。もっとも、暮れの時点でもいろいろ立て続けにあったものだから、どれがどれだったか結構曖昧になってしまってはいたのである。
 以前に書いたウルスラさんは、現在フランスでポスドクをしているが、そちらの研究室とOSUの研究室の繋がりが深いようで、一月ばかりこちらに戻ってきた。11月の事だったと思うが、その歓迎会ということで、パーティーが開かれた。これがパーティーの連続の最初だったと思う。
 場所は台湾人のシャオフイ(照惠)のアパートだったかと思う。シャオフイは音楽科の所属であるが、どこでどうウルスラさんと知り合ったのかは知らない。パーティーでは、シャオフイの知り合いの音楽科の人達やら物理科の人達やら、その他どういう伝手だか色々である。毎回参加者の顔触れが変わるが、パーティーは知り合いとばかりするものでなく知り合いを増やすのがその目的の一つであると考えれば、顔触れが変化するのも当然なのかも知れない。もっとも、このシャオフイ、その後のパーティーで殆ど見かける陽気な人である。
 パーティーの参加者の中に音楽科が多く、その面白い所は、そのうち生演奏を始めてくれるのである。シャオフイはピアノ、イギリス人のフェイはチェロとリコーダー、ドイツ人の・・・(名前忘れた)はバイオリン。各々腕前はなかなか大したものであるから、ワインなぞ飲みながらそれを聴くと結構リッチな気分である。
 その後、これも11月だったと思うが、音楽科の人達が演奏会をした後に、その打ち上げでパーティーをやるのだということで参加したことがあった。開始は10時と遅い。演奏会の後ということもあり、例の3人が正装で演奏。これまた結構な事である。日本での飲み会も悪くないのだが、二次会のカラオケではなかなかこうはいかない。日本でもこういうパーティーがあったら楽しいかと思うのだが、夜中に誰かのアパートでパーティーするだけでうるさくなりそうな上、楽器を演奏するっていうのはなかなか難しいであろうなと思うところである。
 こうしたパーティーの席では、参加者の国籍ばらばらで面白いのだが、不思議な事に、アメリカ人は意外と少数である。よく一緒になるのはNYから来たユダヤ系のアレックスだが、彼がアメリカ人としては一人という事が多く、多い時でも二人だったりする。日本人は以前に書いたウルスラさん、アリファさんの送別会の時に会った重光教授が一回きりである。
 パーティーに誘って頂けるのは有難いが、日本語通じないし(当り前だが)、知らない人多いしで、最初の頃は気が乗るような乗らないようなというのが正直なところであった。いろいろ話しかけられても英語で喋らなければいけないので気が疲れるというか。日本国内だって、とりたてて社交的という程でないし、知らない人の多い席ではちょっと人見知りしてしまう。しかし慣れなのであろうか、色々参加するうちに、結構気疲れもなくなってくるものである。
 そんな訳で、一緒の席に日本人がいなくても別に気にもならなくなった。むしろ、こちらのいい加減な英語を日本人に聞かれるのには何故か気恥ずかしいものがあるので、気楽といえば気楽である。
 この続きは次に。

(April 12, 1999)

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