パーティーパーティーパーティー(その三)
Pictionary以上に困ったのは、Tabooというゲームで、それを初めてやったのが、そのチーズフォンデュの時、Pictionaryの後にやったのだったか、又別のパーティーだったか忘れたが、ゲーム自体は印象深い。ゲームの内容は、やはり解答の単語、熟語を当てるものであるが、絵ではなく、言葉で説明して当てるのである。ところが、カードにはその解答の他、4つのtabooの単語があり、それを説明に使ってはいけないというものである。例えば解答がorangeならfruitやroundその他を使えないといった具合である。Pictionary以上に英語がハンディになるのでいけない。説明役になると緊張してしまう。
それでも、意外とこちらが説明役に回ったときでもチームの仲間が当ててくれたりして、そこそこ楽しめはすると思った。が、最近またパーティーでこのTabooをやってきて間もないのだが、やっぱりこれはお気楽には楽しめないやと思った。アメリカ人二人、イギリス人一人と、native speakerが三人いたし。このゲーム自体がTabooだよ、と感じてしまったりするが、まあ、ちょっとは面白い・・・と言っておこう。
さて、次に参加した12月のパーティーは、フェイの誕生日であった。彼女が引っ越しをする前のアパートで行われた。誕生日ということで何か買って行こうと思い、音楽科だから日本の音楽のCDでもと思ったが、クラシカルな日本の音楽のCDは見つからず、結局持って行ったのは「ゴジラ対キングギドラ」(英語吹き替え版)のビデオ。残念ながら彼女はVCRを持っていなかったが。
彼女の母親や知り合いのイギリス人のおじさんもいるので、なんとなくいつもの賑やかなパーティーとはちょっと趣を異にしたアットホームなものであった。彼女の母親は年が明けてすぐ帰国したが、このパーティーの後も二度程会っている。娘がアメリカにいる間に遊びに来て一月程滞在していった訳だが、特に観光をしていった訳でもないようである。州内にこれといって名所もないので、最初からのんびり娘と過ごすつもりであったのだろうか。
誕生日を祝うというのはいいものだが、次のパーティーの機会は、これまた誕生日で、今度はシャオフイのであった。暮れでみんな何処かに出かけているので、この時はシャオフイ、フェイ、パトリックと私の4人であった。場所は珍しくレストランで。シャオフイの希望により、日本食であった。シャオフイへのプレゼントは、ビデオはVCRがないと困るので今度は日本の漫画の英訳版。以前に書いた、デリックに聞いた店とは別の所の店が閉店セールで安く放出していたのを買ったものであった。台湾では日本の漫画の翻訳版も多く、小さい頃結構読んだとのことで懐かしがっていた。
この時は寿司やら何やらを食べた。日本食ということで私が注文を任されたが、私がウエイトレスさんと話をしているのを聞いて、日本語はなんで「ポン」で終わるのだと聞く。あんまりパ行の音は使わないのに変だなと思ったら鉄火巻とかとかお銚子の単位の本の事であった。どうも「ポン」がかなり印象に残った様である。
パーティーもお開きになり、別れの際、パトリックは相手を抱きキス3回というスイス流の挨拶を。イギリスあたりは2回らしい。回数はともかく羨ましい習慣ではある。日本ではどうだというから、いやあお辞儀をする位だと言ったが、パトリックが日本にも何かはあるだろうというので先ずシャオフイを抱き会う姿勢から持ち上げる。小型のアジア人であるから軽いものである。フェイが私は重いから無理だろうというから持ち上げてみたがこれも軽いものではある。大型のパトリックだって肩に担ぎ上げる事も可能なのであるが、これはしなかった。
冗談ではあったのだが、柔道や相撲のお国であるからとうっかりすると信じたであろうか。最近研究室の領土拡大の為に空いたオフィスを皆で片付けている時に、木の板が出て来た。40x30cm四方位で厚さは3cmを超えるだろうというものだが、古く乾燥したためかひびが入ってる。そこで、それを拳で割って見せたら、研究室の秘書のおばさんその他あっさり信じてしまったが、実際ひびも入って無い板であれだけ厚けりゃそう簡単に割れるものでない。どうも空手やらは今も神秘的に映るもののようで。
さて、その後も幾つか続いたのであるがそれは次に譲ることにする。
(April 13, 1999)
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