パーティーパーティーパーティー(その四)
前年の年末はテネシーに旅行に行っていたりしたのだが、この年の暮れはコロンバスで過ごした。別に身近なところで年末の様子を眺めようとの計画があった訳ではないのだが。
クリスマスイヴ、クリスマスのパーティーに続き、大晦日も皆で集まって過ごしたりし、結構印象深かったのであるが、これらの事については後に別の項を設けて書こうかと思う。
年末のパーティーの連続が終わり、年が明けて1月には研究室のパーティーがあった。Prof. Bachheit宅であった。日本の住宅に比べるとお屋敷の様に大きく、暖炉などもありなんだか贅沢な作りで、総勢で30人位集まっている筈なのだが結構余裕でその人数を収容できてしまうところが素晴しい。そんなに高級取りでは無いはずなのだが、広い家を持てるというのはアメリカならではであろう。その前の年の研究室のパーティーはProf. Frankel宅で。これ又皆集まれるだけの広さがあった。
ところで、日本に比べると職場関係単位での飲み会、パーティーは少ないようである。日本だと、新年会、花見、年度末や年度始め、その他諸々、何かしら有るものだが、そういう機会は少ない。上記の他のパーティーといえば、以前Prof. Smialowska宅にポスドクのみ集まった時くらいであろうか。最近になって、Prof. Bachheitの提案により、大学近くのCookerという店で金曜の夕方ちょっと飲みに行くというのが始まった。交流を深めようと言うのが目的だそうだが、なんだか日本的な考え方に似ている。2次会3次会と続く訳ではないのだが。
さて、同世代の仲間内でのパーティーに話を戻すと、その後パトリックの誕生日のパーティーがあったり、パーティー仲間のシャオフイとマーカスの婚約記念パーティーがあったり、最近ではイースターということで(別に名目はなんでも良かったみたいだが)、又パーティーがありで、なかなか楽しませて頂いた。
シャオフイは以前にも書いた様に音楽科の台湾人、マーカスは物理科のドイツ人であるが、どこでどのようにして知り合ったのか聞いていないが、段々と親しくなっていったのは、パーティーで顔を合わせるうちではなかろうか。プライベートに何処かに出かけたりというのは私の知りうる範囲ではないが、以前パーティーで二人ともいた時に、そこまで深い付き合いであったようにも感じなかったから、比較的新しい付き合いなのかも知れない。あるいは、パーティーでよく一緒になる物理科−音楽科のラインはその二人がいたためであってそっちが先なのか。まあ、よく分からないけど、パーティーが一助になっていたかもと考えると、パーティー侮れずと思う次第ではある。
日本での飲み会も、ちょっと懐かしく感じたりもする。1次会、2次会、さらにその先という形式もよいではないか。こちらだと居酒屋的な所がなく、食事と飲むのと、一緒に満足させられるような所は少ない。バーでは大した食べ物が無い。レストランでも飲めるが、客の皆が飲むのを目的にしている訳でもないと、なんだか雰囲気がそぐわない気がしたりする。日本の飲み会はそれはそれでよしである。日本的に、誰かのアパートで鍋パーティーをやるというのも悪くない。
しかし、こちらでのようなパーティーもなかなかである。アパートに何人も集まれるスペースがあるし、知り合いは増えるし、更に日本の飲み会より安上がりだし。帰国した後には、結構こちらでのパーティーを懐かしく思い出したりもするのだろうなと思ったりするところである。
(April 13, 1999)
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