パスポートの書き換え(後編)
前回は、パスポートの更新の為の書類を提出に、デトロイトまで出かけた事について書いた。申請書を提出した後、別に市内を見物するでもなく、真直ぐ帰途に着いた。それというのも、片道仙台−東京程の距離があって、日帰りするのに遊んでいると疲れてしまうのと、治安の悪いと言われるデトロイトに、さして興味が無かったからである。
往路には、AAAの情報では工事中のところがあって渋滞するというI-75を一部避けて別の道を辿ったが、距離的にはややI-75を通った方が近いし、必ずしもAAAの情報があてになるでもあるまいとジュンゴさんが言うので、試しにI-75で帰ることにした。しばらく走ると、反対車線で結構長い渋滞が見られた。デトロイト周辺の工場にでも材料を運ぶのか、大型のトラックも多く並んでいた。工事中で一車線になっているのが渋滞の原因になっているらしい。自分たちが走っている方向には工事はなく、問題無く走れたのだが、行きにそこを通っていたら時間に間に合わなかったかも知れない。AAAの情報も当てにするものである。帰りがけには適当な所で昼食をとり、一休み。帰り着くまでの所要時間は行きとほぼ同様の4時間程であった。帰ったら結構疲れており、うたた寝してしまった。
さて、その一週間後、ジュンゴさんのVISAも出来上がったという連絡があったということなので、又一緒に出かけた。今回は午後に着けば良いということだったので出発はゆっくり。ジュンゴさんの車で連れて行って貰うことにした。長距離なので運転して貰った方が楽と言うのもあるし、前回クーラーの無い自分の車では結構暑かったのでエアコン付のジュンゴさんの車をあてにしたのである。行きは又渋滞があるだろうということで、前回の行きと同じ道を辿った。
途中高速を降りて昼食を。ファーストフードに向かう途中、交差点を左折したのだが、この時赤になるぎりぎりのところで曲がったら、ミシガン州のパトロールカーが追いかけてきて捕まってしまった。ちょっとびっくり。警官が降りてきて、免許証と車の保険のチェックを。ジュンゴさんはぎりぎりの所だったし、既に交差点に侵入してしまっていたので止まっている訳にもいかなかった由を告げたが、結局警告をうけた。日本でいう所の原点1とかそんな感じだろう。警告が記録されたところで、直後日本に行くジュンゴさんにはもう関係無い話なので、まあどうでもよいといえばどうでもよいのであった。罰金を取られた訳でもないし。
意外とお巡りさんも厳しく見ているもんだなあと思った。日本に比べるとアメリカの方が運転が荒っぽそうな感じがするが、意外にSTOPの標識のある所では皆一時停止しているが、どこで警察が見ているか分からないという意識があるせいなのかも知れない。ジュンゴさんには気の毒であったが、ちょっと面白い経験をしたなと思ったのが正直な所である。
そんな出来事はあったものの順調に総領事館に到着。新しいパスポートを手にすることが出来た。別の中国人の知人が日本への観光VISAが欲しいと言うことだったので、ついでに申請用の書類を貰ってきた。聞いて見ると、申請から取得まで、日本の外務省に書類を送ったりしなければならないということなので2月程かかるし、実際の所、現在中国人に対しては殆ど観光VISAはおりていないとのことであった。大方、入国後帰国せず不法就労するケースが多いからであろう。いたしかたないとは言え、気の毒な話ではある。その知人は、休みに中国に帰る途中、成田経由で東京辺りを見物したいらしかった。VISA無しでも航空券をもっている場合72時間は日本に滞在出来るということなので、その間に見物する積もりでいるようだ。
新しいパスポートとVISAをそれぞれ手に入れた我々は今回も真直ぐ帰途に着いた。行きには前回同様4時間程かかったが、帰りは3時間半でコロンバスに到着。なんで早かったのかなと思ったら、何のことはない、途中で休みを取らなかったのだ。
このジュンゴさん、その後日本に行き、現在日立に勤めている。アメリカに来る以前に5年程仙台に住んでいたので、カルチャーショックも無く元気でいるようだ。彼が出発する前日、OSUの彼と同じ研究室にいて、現在私の研究室に移ってきたアメリカ人のデリックと3人で食事をしに。アメリカっぽいものを食べようということで、結局レッドロブスターに行ったのだが、ジュンゴさんもデリックも、そのチェーン店が日本にもあるということは知らなかった様で。久しぶりの海産物、海老、蟹を食べられて結構よかったが。このデリック、来年東北大の、ジュンゴさんのいた研究室に1年か2年程行く積もりがあるそうなので、次回の飲み会は日本で、ということで乾杯した。日本でまた一緒に集まれる日が楽しみである。
ジュンゴさんは時々e-mailを送ってくれる。最近受け取ったe-mailによると、日本に行って一月程の間に、飲み会が15回になったということである。アメリカでは日本の様な同業者と街に繰り出すような飲み会というのがないし、日本の様な居酒屋もなく、全く雰囲気が異なる。ジュンゴさんも飲み会を繰り返し、日本に帰って来たんだなあという感慨を深めていることであろう。最近、一時中国に帰国していた奥さんも日本に来られたようであるが、随分会社の飲み会が多いとぼやくようになるであろうか。付き合いも仕事のうちだ、なんて言い出すようになると、ジュンゴさんも日本のサラリーマン化した事になる訳だが・・・。私が帰国して、日本で再会出来る事を楽しみにしている次第である。
(June 18, 1998)
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