アニメの翻訳(前編)
97年の11月6日、OSUのアニメのクラブの上映があるいつもの講義室で「もののけ姫」の英字幕付きが公開された。ディスニーが権利を買って、この映画は99年6月頃アメリカでも公開との話であるが、それに先駆けての上映である。著作権の問題があるので、毎度の上映の様にファンの間での鑑賞会という事で、無論無料である。
この「もののけ姫」の英字幕作製にあたり協力したのであるが、これはなかなかの苦労であった。しかし、出来上がった字幕版を見ると、なんだか良い記念になったかなという感じであった。協力するきっかけとなったのは、研究室のアメリカ人、デリックがアニメのクラブのコアメンバーであることであった。クラブで2週間に一度日本のアニメの上映をしていることは以前に書いたが、それを時々見に行く様になってから、翻訳をやってみないかと誘われてはいた。しかし暫く知らんぷりをしていたのである。大体翻訳などやった事ないし、簡単に出来るとも思えない。仕事上英語で論文やレポートを書くことはあっても、使う語彙がかなり異なる。時間もくいそうだ。
そんなこんなでのらりくらりとかわしていたのだが、ある日アメリカ人側で翻訳に携わるジェイソンを紹介された。今度新しいプロジェクトとして、「もののけ姫」に字幕を付けるのだといい、いきなりコピーを渡される。デリックとジェイソンの間では、こちらに翻訳やらせようという事になっていたらしい。うやむやにそのビデオを受け取ってしまった。大体、そこで逃げの言い訳を英語ですらすら言わないあたりで、向かない事を判断して欲しいものである。デリックに至っては、毎日顔を合わせて話しているんだから、こちらの英語力は分かっているはずである。それでもいいと言うのなら仕方がないといえば仕方ないが。第一、OSUには200人位日本人がいるという。その中で英語の達者なのは他にいそうなものだから、なにも身近で間に合わせずとも、ちょっと探してみればよいではないか。加えていずれディズニーが配給するのだから「もののけ姫」に関しては待ってもいいのに。
などとぶつぶつ思いながらも引き受けてみたのは、第一に帰国後の話のたねに面白そうだったからである。英語の勉強にもなろう。加えて、日本のアニメを自分達の手で字幕を付けてまで見たがっているのだから、日本人としてはなんとなく協力を惜しむのも気が引ける。などなど。コピー貰えそうなんて物欲もちらと頭をかすめる。そんな訳で、結局コピーのテープをその日の上映の後家に持ち帰り始めてみた。
とりあえず日本語の台詞をタイプする。そしてその下に英語を。日本語はジェイソンが読みにくいといけないだろうと、ほとんど平仮名で。日本語ではスペースを入れないので漢字が入っていないとえらく読みにくいがまあいい。英語の方はネイティブスピーカーの彼が自然なものに直すであろうから、直訳的に。
そんなこんなで8月初旬の金曜の夜に始めて、週末2つを費やし、その間の平日にも夜に睡眠を削って翻訳に励んだ。和英辞典も日常の会話にあんまり役に立たないなんて思っていたら、ぴったり来る例文も載っていて、意外と役に立つもんだと見直したりした。はじめ、自分は日本語でその映画を見られるし、まあ適当にやっておこうかなんて思っていたのだが、宮崎駿監督のメッセージを出来るだけ忠実に伝えたいと思うようになり、やや意訳的になっている部分もなるべく直訳的に改め、後の判断をジェイソンに委ねることにした。と、自分なりにこだわりを見せたりもしたが英語の方は怪しいので、まあ、高が知れているといえよう。
この物語、なにしろ時代設定が室町時代なので古い言葉が多い。注釈が必要と思われる所にはフットノートも付けた。「さかしらにわずかな不運をみせびらかすな」などという台詞では、さて、「さかしら」は何だろうと国語辞典まで引く始末である。賢しら、賢しい、小賢しいなんかのあれか、なんて英語でないところでも苦労したりする。シシ神というのが登場するのだが、シシは何だろうという事で古語辞典で獣のことか、なんてのも後機会があり調べた。チンゼイから渡ってきた乙事主という大猪も登場するが、さて何の事かと調べたら鎮西で今の九州のことであった。そんな感じで、英語での苦労は言うに及ばずで、それ以前に日本語の方でも台詞を聞き取って完全に意味を捕えるのに意外な苦労があった。物語の設定等は、宮崎アニメのファンが作っているホームページが結構役に立った。
そして、苦労の末にとりあえず一通りの原稿を作って見ると、レターペーパーに70ページ程になった。只タイプするだけでも結構面倒な量である。まあ、英語の方は保証しないものの、よくまあやったなと、ちょっと一安心。週末が明けて、ジェイソンにe-mailで送った。しかし、それで終わった訳ではない。今度は彼が英語を直して、彼が意味が分からんと言うところには答えて、一通りの字幕を付けたのを見てみて、それは違うあれは不自然だと今度はこちらが注文を付けたりして修正を加えていって徐々に仕上げて行くのである。その後もまたいろいろあるのだが、ちょっと長くなるので次に譲ることにしよう。この翻訳、折角話の種にしようと思ってやったのだから・・・と、いう訳でもないけれど。
(Janurary 13, 1999)
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