アニメの翻訳(中編)

 前編では、「もののけ姫」の一通りの原稿を作ったところまで書いたが、実際、字幕版が出来上がるまでにはここからが長かった。ジェイソンがそれを元に、自然な英語の台詞にしていき、その過程でこちらにいろいろと質問を。ジェイソンも翻訳に関して、なかなかこだわりを持っている。この物語の時代背景は、室町時代ということになっているが、石火矢なる鉄砲の様なものが登場する。1543年にポルトガルから鉄砲が伝来する以前の事ではあるが。発射の命令の際、「放て」と台詞にあるのだが、私は単純にfireにしておいた。ところがジェイソンは、英語でも昔風の言い回しが有るはずで、releaseだろうか何だろうかと考えている。彼の母親は文学教授だそうで、その時ヨーロッパに行っていたのだが、帰って来たら聞いて見るといっていた。結局、dischargeに落ちついた。「撃て」でなく「放て」なんだからニュアンスを大事にしようということで、この様な細かいところでも議論があったのだが、後の試写で、実は「未だ撃つな」なんて台詞もあったのを二人とも忘れていた事に気付き、ちょっと笑えた。
 また、「曇りなき眼(まなこ)」についても、私は単にclear eyesにしておいたのを、彼はunclouded globesにするというこだわりを見せた。「曇りなき」に対してはuncloudedの方が直訳的だし、いい感じである。Globesは古典に見られる表現だそうで、これも「眼(まなこ)」という言葉の古さへのこだわりが見られる。日本でまなこといえば、勿論今でも通じるが、試写の時に、実はジェイソン以外のアメリカ人のクラブのメンバーはglobesの意味が分からなかった。古典に通じていないと分からないものらしい。こだわりすぎか。しかし、ここまで真摯に元のニュアンスを保とうとする姿勢には敬服する。勿論私はアニメの製作者でも何でもないのだが、元の日本語の台詞のニュアンスを大事にしようとする姿勢になんだか嬉しく感じるのは、私が日本人だからであろうか。
 終わりに近い場面でのアシタカの「共に生きよう」という台詞に関しても議論が結構あった。We shall live together. では、togetherが物理的に一緒にという感じであるが実際はアシタカはたたら場で、サンは森で暮らそうというのだから、いまいちである。何かしないと、宮崎駿のメッセージを薄める事になるとジェイソンは言う。「共に生きよう」という台詞は、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」の漫画の方で、森の人がナウシカに言う台詞とも共通している。日本語で「共に生きよう」というと、森(自然)と人間との「共生」という言葉まで感じさせるのであるが、英語にする時には簡単にいかないのは困ったもんである。ジェイソンはas friendsを使ってはどうかとe-mailで書いてきたが、「お友達でいましょうね」みたいで嫌だと返答。「」内は日本語でタイプしたのだが、私の言わんとする所をくみ取った彼はなかなか出来るな、と思った。
 さてはて、そんなこんなの、わりと重要な台詞から、まあそこまでこだわらなくても、という結構細かいところまでの議論をe-mailで、あるいはクラブの上映会で会った時に行った。暫くして取り敢えずの字幕版が出来上がり、それの試写を見ることとなった。
 こちらで一通りの訳の原稿を作った後は、殆どジェイソンの仕事であった。彼も日本語が結構分かるらしい。何しろ週間少年サンデーなど手に入れては読んでいる。映画の中に出て来た。「かしこみかしこみ申す」なんて言い回しも知っていた。日本語の単語も結構知っているようだ。ところが、日本語が結構分かるらしい、と曖昧な表現でしか書かなかったのは、残念な事に彼との会話には英語が使われているからである。日本語にしてくれるとこちらが楽なのに。まあもっとも彼が日本語がぺらぺらだったら私の出番もないであろうけれど。比較的簡単なコメディーものの日本のアニメなんかは、彼自身で翻訳してしまうそうだから、やっぱりかなり日本語が分かるようである。日本語の授業を受けたのはわずか2年間だけというのに大したものである。日本のアニメを見たり漫画を読んだりしているうちに身に付けたのだろうか。私もそれを見習って漫画や映画のビデオやら買ってみたりしたのだが、その話はまた別の機会にするとしよう。
 今回もまた長くなってしまったので、続きは後編に譲ることにする。

(Janurary 14, 1999)

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