大晦日

 クリスマスイヴ、クリスマスとパーティーがあって間もないのに、今度は大晦日に又パーティーがあった。フェイのアパートでである。フェイとそのお母さん、パトリック、シャオフイ、アメリカ人の女の子に、カザフスタン人が一人ずつと、途中で帰ったカップルは何人であったろうか。ロシアだったか。忘れてしまったがまあよい。
 このパーティーのために今回私が用意したのは、お汁粉。お正月にはおもち食べるしなあと思ったのと、作るのが極めて楽だからである。あんやおもちは何時もの日本の食材屋さんで仕入れた。あとは煮るだけである。その手軽さたるやインスタントラーメンに等しい。麺類といえば年越しそばも良かったのだがのびるのでやめた。フェイのお母さんはクリスマスでのちらし寿司続いて、今度は又別な料理で感心していたが、両者とも簡単なものだから感心するには及ばない。
 何時もの如く食べたり飲んだりしているうちに、午前零時が間近となりテレビをつけて、0時を確認。ハッピーニューイヤーである。除夜の鐘は鳴らない。どうも日本にいる時は、毎年見飽きたとかいいながら、全部は見ないながら紅白を見、行く年来る年で除夜の鐘を聞きつつ年が明けるのが大概なものだから、パーティーの最中だと、年が明けたのがいまひとつピンとこないような。日本に住んでいる訳でないので、そこは仕方がない。
 そしてその後、それまでに残っていた5人で外に散歩に。外はかなり寒い。手袋や帽子がないと耐えられない寒さであるが、外の空気は新鮮で気持ちがよかった。フェイの兎のぬいぐるみの中に熱湯を入れるタイプの行火の様なものを私は持ち出した。外を散歩しようと提案したカザフスタン人は鞄の中にカルーアミルクのボトルを忍ばせている。ちょっとしか残っていなかったので、途中皆で回し飲みしたら直ぐに無くなった。
 噴水のある池に行ってみると、噴水のまわりは凍ってないが、その外側には結構な厚さの氷がはっており、その上を歩けた。そしてしばし散歩を楽しんだ後にアパートに戻る。
 その後、直ぐ近くにあるカザフスタン人のアパートに移動し、彼の持っている暮れだか正月のテレビ番組のビデオを見ながらダベる。フェイのお母さんはフェイのアパートで就寝。カザフスタン人の彼の部屋には大きなロシアの地図がはってあった。フェイのアパートで彼と話をしている時に、北方領土はロシア領だと彼が、そして私は日本領だと主張したのだが、彼はそれでは地図を見せようと言っていた。やはりロシア製の地図では北方領土は赤く染まっていた。もっともロシアでは南方領土とでもいうのだろうか。別にそれで言い争う訳でなく、話の種であったのだが、ロシア製の地図でそれを確認したのは初めてだったので、ほほう、なるほどねえ、と思った次第である。
 彼の部屋で時を過ごすうちに2時だか3時だかになったので、会はお開きに。そして家に帰って寝る。98年の大晦日はこんな感じであった。日本での大晦日は、少なくてもその夜には実家に帰っているのが通常なので、こんな過ごし方も新鮮に感じられた。99年の暮れには日本にいるが、1900年代最後の年末、どんな過ごし方になるであろうか。

(April 15, 1999)

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