Amish Country

 Armishというのをこちらに来てから初めて知った。詳しい事は知らないのだが、世界大戦前にヨーロッパの人達がアメリカに渡り、文明社会に浴さず生きているのを言うらしい。自動車は使わず馬車に乗り、電気もガスも利用しない。アメリカ各地にAmishの人達は住んでいるが、OhioのAmish countryは中でも大きいものであるという。主に農業で生計をたてて暮らしているようである。こちらの自動車免許をとる時に、低速車に付ける縁が赤で明るいオレンジ色のマークを教本で見たが、そこには次のような説明がある。「Old-order Amish groups, which are forbidden by religion to display bright colors, can use alternative reflective materials that insludes gray, white, black or silver and must cover an area of at least 72 square inches.」Amishがどのようなものなのか、これからは分からないが、なにやら特殊な人達がいるであろう事は窺われる。また、日本人の笠井さん宅にお邪魔したときに、隣の部屋の女の子が塩か何かを借りに来たのだが、その両親はAmish countryに住んで居ると言っていた。一種の宗教みたいなもので、前述の様な生活をしているのだと言っていたが、えらく地味な生活をしている謎の集団といういう印象を受けた。他にも、Amish country辺りにドライブも良いかもしれないと言うようなことを聞いていたので、そのうちに機会でもあれば言ってみようかなと思っていたのだが、その機会は11月初旬、空軍博物館を見に行った直後に訪れた。
 大学の研究室の院生の山崎君がCaliforniaで飛行機の免許を取った後、こちらに遊びに来る事になっていたのだが、どこか見物に連れて行くのに何処がいいか考えた末、結局Amish countryにでも行ってみようかということになったのである。飛行機の免許を取った位だから、空軍博物館の方が面白いかなとも思ったのだが、本人も何処でもいいと言うし、空軍博物館は行ったばかりだし、先の項で書いたように車のタイヤの調子も思わしくないので、ちょっと近めであろうと思ったAmish countryに行くことに決定した。実は空軍博物館の方がむしろ近かったようではある。
 さて、山崎君が到着の日、空港まで高速を飛ばし迎えに。着いたのは夜だったので、家に連れて帰って適当に夕食を作り食べて貰った。お土産に空軍博物館で購入したB-29の操作方法説明書の復刻版の本をあげる。大戦中であれば日本軍にとって大変な貴重品であったろう。とはいえ、彼の軽飛行機操縦の参考にはなるまいが。その晩は色々と話し、翌日のドライブの計画を。近場でどこかお客さんを連れて行こうと思っても、観光の名所がある訳でもないので困ったもんだよねと言うのは、よくパトリックやハンス等とも話すことだが、実に困った問題である。せっかく日本から来たなら、どこかそれらしい所にでも案内したいところだが、これといったものも無い。大体こんな街の風景だよというのを見て貰い、後は適当にどこかにドライブというのが関の山である。
 その翌日、Amish countryに向けて出発することに。前日、あらかじめボスにはお客を案内するので明日は休むと断わっておいた。さあ出発、と言っても、実は何の下調べもない。頼りはOhio map一枚と北の方という漠然とした情報だけである。とりあえず北の方らしいので、街の北に向かい、ガソリンを入れる。ついでにタイヤに空気も。そこのガソリンスタンドのおじいちゃんにAmish countryは何処かと尋ねると親切に教えてくれたが、大体の位置しか分からない。Amish countryといっても、どこからどこまでと境があって地図に明記されているようなものでなく、Amishの人達が住んでいる辺りを言うようなので仕方がない。大体の所まで行ったら又人に聞けばいいやということでとりあえず出発。思ったよりずっと東の方であった。更に、意外と遠い。
 行きは殆ど高速を利用せず下の道を走ったのだが、秋の田舎道のドライブはなかなかであった。丘の起伏の上を走るのもまた面白い。この辺ではないかなという辺りに来てもそれらしいのが見当たらないので又人に聞いたりして、ようやくArmish countryらしき所にたどり着くと、確かに馬が飼ってあったり、馬車が置いてあったりする家が見かけられたので、あれがAmishの人の家だったのだろう。Amishの家の近くにも、電線が走り自家用車が置いてある(中にはモーターボートも置いてある)普通の家も多く見られたので、Amishの人達は完全な集落を作っている訳でもないようだ。大きなAmishの集落もあるのやも知れないが、残念ながら見つけられなかった。日本の田舎の様な家々が集まった集落は元々無いのかも知れない。
 Amishの家が見つかった辺りを一回りした後に、ちょっとスーパーによって休憩。Amishの人達もスーパーに買い物にくるのかな等と思っていたら、入るなりAmishの人を見つけた。男の人は大概髭を生やしているし、女の人は黒い布の帽子を被っているのですぐそれと分かる。電気や自動車を使わない生活をしていても、電気やらのエネルギーを使い、トレーラーで輸送された工業製品を購入したのでは、完全に旧文明の中で暮らしていることにはなるまい。しかし、逆に言えば、それだけ現代文明を目の前にしても、暮らしに電気や自動車を持ち込まないようにするというのは凄いことかも知れない。文明の発展が必ずしも人類に幸福をもたらしはしないという信念があるのであろう。とは言え、Amishの家に生まれて地味な生活を強いられたらオイラぐれる、と山崎君が言うのも頷けるところである。前述した両親がAmishでも普通に大学に通っているという例もあるので、それなりの歳になったら文明社会に出ていくかAmishに残るかは本人の判断に任されているのかも知れないが、詳しいことは知らない。ところで、このスーパーの駐車場には、Amishの馬車を停める場所もちゃんと用意されていたのだが、そのような一部の人にも配慮するのがアメリカの良いところだと山崎君は感心していた。
 このスーパーを出て、さあそろそろ帰途にでもつこうかということになったのだが、ちょうどAmishの馬車が出ていく所だったので、もしかしたらAmishの家が多い所に帰るのかも知らんと思い着いていくことに。ところがその馬車、なかなか速く侮れない。程なく見失うが、ついていったおかげで観光案内のブースを見つけた。早くからそこに着いていれば、もう少しちゃんとAmish Country巡りも出来たかと思うが、そこは無計画な旅行なので仕方がない。ヨーロッパ各国の小物等を売った店が奥にあったが、これはヨーロッパから渡ってきたAmishの人達の祖国と関係したものなのだろう。店のおばちゃんにAmish料理の店のあるところを教えて貰い、そこで夕食を取ってから帰ることにした。
 Amishのold styleの料理は美味しいとも聞いていたが、Amishだけあってレストランも電気使っていないんではないかなんて思ったが、教えてもらったレストランは全く普通の感じであった。なかなか美味しくお腹も満たされる。隣に土産物屋があったのでそこを少し眺めてから家路に。その頃にはもう暗くなっており、外は結構な寒さであった。後日、Amishで作っているFox Fire(日本語で言えば狐火か?)という名のワインが美味しいという情報を得たが、知らなかったので買いのがした。殆ど予備知識も無しに行ったので仕方が無いと諦めよう。帰りは高速で帰ることに。来る時の直線に近い下の道よりは遠回りになるが、高速の方が早かろうと思ったが、約2時間。あんまり変わらなかった。
 それにしても、Amishの人達は何故に新しい文明を否定するのだろう。ロケットが宙を舞い、インターネットで遠くはなれた国にいる同士でもやり取りが便利なこの時代に。分からないでもない。工業の発展が自然を破壊し、経済の発展は貧富の差を生み出す。発達した都市には何処か病んだ部分が現われる。生活にかかわるあらゆるものが便利になっても、人の心が満たされるかというと、そんなこともない。Amish countryを訪れる直前に行った空軍博物館では、動力飛行に成功してから100年程の間に、如何に航空機が兵器として進化したかを眺めたが、これを見ても文明の発達がもたらすものに楽観出来ないことが分かろうと言うものだ。この空軍博物館とAmish country訪問の好対象は、文明のもたらすものが何であるのかに思いを馳せさせるに十分なものがあった。文明の発展の先にあるものは幸福なのか滅亡なのか。世界中の人がAmishのように暮らせば、戦争も二酸化炭素問題も無いであろう。しかし、文明の発展を止めたとしたらどうなるのだろう?個人的には文明発展の先に滅亡があり、それと心中することになっても文明発展の先を見てみたいと思うのだが。
 さて、山崎君はその翌日、知り合いのいるBostonへ。彼が来てくれたおかげで一月分程、日本語の会話をした気がする。空港へ送る際にもタイヤは大丈夫かな等と気になったのだが、別に何事も無かった。後日4本とも交換したことを付け加えておく。ところで最近、Amishのorganic eggs(Penn. St産)を買って食べたのだが、これは味が濃くてなかなか美味である。抗生物質も蓄積していまい。普通の倍位の値段だが、それだけの価値はありそうだ。昔ながらの健康的な方法で鶏を育てているのだろう。Amishの生き方も捨てたものではない。とは言いつつも、ちょっと古いコンピューターに、遅いと言って文句を付ける様な我々現代人には、なかなかああいった生活は出来ないのだろうなあとも思う。
(Jan 25, 1998)
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