日本のアニメーション(後編)

 前編ではスタジオジブリの作品を見に行った事に触れたが、見に行った作品はいずれも良かった。「海がきこえる」は一種の恋愛ものではあるが、キスシーンがあるでもなく、高校時代の親友と転入生の少女との出来事が比較的淡々と描かれている。映画の最後近くに、大学生になっての同窓会があり、その親友と再開。その後、その同窓会では会えなかった少女と主人公が東京の駅でばったり再開するところで映画は終わる。これだけでは粗筋にも何にもならないが、Columbus滞在記として書いているので、細かいところは省くとしよう。なんだか、誰にでも起こりえそうなドラマが展開し、誰でも経験しそうな淡い恋心の芽生えが描かれているのである。アメリカ人にはうけるのかな?と思ったが、デリックは結構気に入っているらしく3、4回見ているとか。スイス人のパトリックも結構お気に召したようだ。私も、見に行って良かったなと思った一作品である。内容も良かったが、絵もなかなかよかった。駅の看板やら道路標識やら、背景が実に写実的で、ああ、東京の駅はこんなだったなとか、郷愁を誘うものがある。日本を長く離れている訳でもないのだが、海外に住んでいるので余計そう感じられたのであろう。話はちょっとそれるが、日本の漫画でも、舞台がアメリカだと、こちらで良く見かけるone wayの標識がコマの片隅に描かれていたりする。ほんのちょっとしたものなのだが、あ、アメリカだ、と感じさせる効果がある。日本に帰ってからそんなのを見ると、ふとアメリカが懐かしくなるんだろうなと思う。
 この、「海がきこえる」を見た後には夕食を食べに行き、その後「火垂るの墓」を見た。この映画は、前編で書いた台湾人の蘇さんにビデオを借りてちょっと前に見ていたし、日本でも見ていたのであるが、アメリカ人が見るとどういう反応を示すのかなと興味があったのでる。通常、コミカルなものとかアクションものであるとかだと、笑いや何かの声が上がるのだが、流石にこの時はシーンとしていたのが印象深い。翌日にデリックに印象を聞くと、あんまりお好みではないようだ。この物語は、戦時中、戦争直後に二人きりで暮らすことになり遂には餓死する、中学生の清太と幼い妹の節子の悲しい物語である。デリックは、清太が、彼等を引き取った遠い親戚の叔母が例え同居を快く思わなかったとしても、なんとか我慢してその家を出なければ、如何に食糧の乏しい時代でも節子が死ぬ事はなかったのではないか。母の残した貯金も妹が栄養失調で死ぬ前に要領良く使っていればなんとかなったのではないかと言う。そういった意味で、節子に同情は感じるものの、清太には同情を感じられないという。まさに、この点は自分が以前見たときも感じた疑問で、橋本教授がこちらを訪れられた時(「空軍博物館再び三度」参照)に、野坂昭如の原作の本をお願いして読んでみた理由の一つでもある。そうは言っても、当時孤児となった二人には生き延びるのに非常に困難な時代であったことは間違いない。当時同様の体験をして1才4カ月の妹をなくしている著者の妹へのレクイエムとしての作品であるから、上記のような疑問に囚われずに見るべきなのであろう。
 ところで、ビデオを貸してくれた蘇さんは台湾人であるが、当時、日清戦争後に割譲され日本に支配されていた台湾の状況というのはどうだったろうか。不勉強なので知らないが、これをきっかけに興味を持つようになった。また、現在の中台関係にも興味が出て、本を見つけて読んでみたりした。知り合いに台湾人が3人、うち一人は中国人と結婚したが、他の二人の方の気持ちとしては台湾は中国ではないという意識が強いようだ。中国政府としては一つの中国を押し通したいようであるが・・・。話がそれたので元に戻そう。
 その後、「もののけ姫」と「魔女の宅急便」も見に行った。「もののけ姫」は、私が渡米した後のもので、ストーリーなど知らなかったが、日本で話題になり、観客動員数も凄かったことを新聞のインターネットの記事などで読んでいたので、見逃す手はあるまいと楽しみに見に行った。日本から購入したばかりのLDを上映するので、字幕も吹き替えもなしである。その割には人が多かったのが印象的である。もっとも、事前に、字幕が無いことは散らしに書かれていなかったのだが。それでも、上映中に席を立つ人が殆どいなかったらしいのは驚きであった。(前の方で見てたし、わざわざ確認もしいていないので、はっきりとはわからないが、終わった後でも始まる前と同じ位客が入っていた。)自分は勿論日本語が母国語であり、全然困らないけどね、とは思ったものの、喜んでもいられない事情がこの時にあった。というのは、先に書いた様に、研究室のデリックがこのクラブのコアメンバーなのだが、彼経由で、「もののけ姫」の翻訳を頼まれていたのである。LDプレーヤーとビデオデッキとコンピューターに加えて、何やらの装置を繋ぐと、自分たちで字幕の挿入が出来るというのである。以前から翻訳の話はあったものの逃げていたのだが、上映前にはコピーのビデオを渡され断わりづらかったのと、英語の勉強と話のタネにはなるかなということで、結局引き受けてしまった。そんな訳で、上映中は、この台詞は英語にするとこんなであるとか、英語も頭をかけめぐったりしてなかなか落ち着いて見ていられなかった。その後の、「魔女の宅急便」は字幕付きでストーリーも単純で、気楽に楽しめたのであるが・・・。
 その晩、渡されたビデオを見ながら翻訳を始め、週末はほぼまるまる没頭し、平日の夜もその次の週末もつぶしてようやく一通りの翻訳を終えた。随分な苦労である。現在、アメリカ人側の翻訳者のジェイソンが、自然な英語で、映像に会うように台詞を整えているところである。さてどんな風に出来上がるやら。一通りジェイソンが形にしたところで、またこちらがそれを見て修正を加えるという手順らしい。この「もののけ姫」の字幕挿入は現在進行中であるが、出来上がった後にでも、その苦労話を書くとしよう。英語が得意でも何でもない私にとっては、いい経験かも知れないが、大変な苦労だとだけ、ここには記しておく。
 さて、最後に一つ書き加えておこう。日本のアニメというと、結構アメリカその他諸外国でも人気が有る様で、アメリカでもanimeで通じるようだ。Japanimationという造語も使われる事があるようだが、前述のジェイソンによると、自分達はanimeということにしているとか。英語では、animationを日本風にanimeと省略することがないので、animeというと、それで既に日本のアニメーションを指すことになるらしい。Japaninationというと、日本人の蔑称のJapとanimationをくっつけた、Jap-animationのような響きがあるのでよろしくないそうだ。そういうこだわりがあるのは有難いことである。

(September 13, 1998)
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