到着の日

 Chicagoに到着したのは予想よりは早かった。しかし、乗り継ぎには時間が厳しい。入国審査を済ませ(ずいぶん人が並んでおり時間がかかる)空港内の列車に乗って移動し、更に地下道を通って目的のターミナルへ。聞いてはいたがオヘア空港は恨めしい程にだだっ広い。乗り継ぎの便のゲートに付いた頃にはもう目的の飛行機は空の上。「あっちゃー」いやあもうどうしようという感じである。次の便は3時間程後の午後8:20発。
 やばい、Dr. Jerry Frankelは迎えに来てくれるだろうか?ともかく彼に連絡しようと空港ないの店で小銭に両替してもらい公衆電話をかけようとするが、どうも使い方が良く分からない。近くの人に長距離はどうやってかけるのかと聞くと俺も実は外人なんで分からんとの答え。ともかく試してみると、大学にうまいこと繋がるものの、留守番電話になったいた。もう5時を回っていたから、家に帰っていたのであろう。それでも、Columbusの空港で私を見つけられなかった場合には、大学に連絡があったかと思い、大学の留守電を外から聞くかなと期待し、一応次の便の番号と到着時刻を伝えて置く。日本だったらもう少しは遅くまでいるであろうに・・・。
 だいたい大学の電話番号しか控えておかなかったのは間違いであった。やれやれ。まあ、いざとなったらColumbus空港から適当にタクシーでも拾ってホテルにでも行き、翌日に顔を出そうかと覚悟を決めた。じゃあ、まあ適当に時間でもつぶそうかと売店を覗いたり、ジュースを飲んでみたり。売店ではChicagoのキーホルダーを買った。これは今もリュックサックにぶらさげている。乗り継ぎの飛行機に乗り遅れた嫌な経験を思い起こさせる代物ではあるけれど。空港内は全て禁煙であった。暇だったしで外に出て一服する。アメリカは禁煙が進んでいると思っていたので、吸いにくいかなあと思っていたが、そこら辺に吸っている人がいたので、こんなものかなと思いつつ火を付ける。乗ってきたUAは全席禁煙であったので、やや久ぶりの一服。少しきつく感じた。
 さて、やっとこ、次の便に乗り込み、Columbusへ向かう。到着は11時過ぎの予定。アメリカ国内広いとはいえ、そんなに時間かかったかなあ、と思っていたが、到着してみると自分の時計でまだ10時代。これは予定より早く着いて助かったかなと思ったらChicagoとColumbusでは1時間の時差があったのであった。がっかり。まったく迎えに来ていただいたDr. Frankelには申し訳ないことである。こりゃあもう待ってないだろうなと思ったら迎えに来てくれていた。こんなに夜遅く着いてからホテルを探すのも面倒だろうなあと思っていたので、助かったと思った。彼の顔は大学のhome pageにあった写真1枚で見たきりであったが、彼のほうも私の顔は私のhome pageでしか見ていないという。しかもそれは、犬の顔がmorphingで私の顔にだんだんと変化するというものであったから、ちゃんと顔を把握してくれていたのかは疑問である。まあ、日本人で、観光の名所でもないColumbusに来るのはたいして多くもないだろうから、それらしい人間を見つけるのは容易であったろうとは思う。
 その日は彼の家に泊めてもらう。なんと3階建て。その3階の一室に泊めてもらう。家族は彼の奥さんと娘2人であるから、なんとも広い空間に住んでいることになる。申し訳ないことには到着が遅かったため、彼の家族はみんな寝ていた。シャワーを浴びたいといったら、子供部屋の奥にあるという。起こしちゃ悪いから3階の泊る部屋の横にあるシャワーのないバスタブでいいと言ったが、ぜーったい起きないから心配せずシャワーを使えというので使わせてもらった。彼の言うとおり、娘さんは起きなかった。音を立てないよう、こそこそとその横を通って寝室へ戻る。Dr. Frankelは夜中なのにnotebook型のパソコンに向かって仕事をしていた。アメリカ人は日本人に比べるとずいぶん早く帰宅するようであるが、結構自宅で仕事をしているのかも知れない。彼は博士課程の学生時代、アメリカ人にしては珍しく土日も実験していたと、同時期にMITにいらした西村先生がおっしゃっていたが、これから察するに、彼が特殊であるということもありうる。
 この日はともかく旅の疲れもあって、ぐっすり寝る。
(June 29, 1997)

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