ドリスとロン(後編)

 前編に書いた様なきっかけで話すようになったドリスとロンであるが、この片方のロンは日本にいたことがあるという。どこにいたかといえば岩国と沖縄の米軍基地である。このロンおじさん海兵隊にいたそうだ。ちょっと意外であった。というのも、彼は結構な小柄で、私と比べても明らかに低く、愛敬のある顔だちで、私が喧嘩したって勝てるのではないかと思われるくらいだ。海兵隊といえば世界最強、猛者揃いで、そのリザーブに入るだけでも名誉とされるくらいだというイメージがあるから、意外に思えたのも仕方ない。兵員はごつくてマッチョなのばかりかと思っていた。
 本人に、身長制限はなかったのかと聞くのも失礼かと思ったので、兄貴がやはり海兵隊にいて、彼自身も民間人として空軍のために働くグラントに聞いてみた。彼の兄貴は、州のレスリングの大会で上位入賞だか優勝だかして、そのコードネームもプロレスラーのマッチョマン・リック・サベージにちなんでサベージで、そのものまねも得意という。ものまねはどうでもいいが、そんな強そうな奴ならふさわしそうだ。グラントに聞くと、別に海兵隊員全てがでかいというのでもないそうだ。まあそうかも知れない。人員10万人(?)位であったろうか、その全てがプロレスラーみたいなのばかりではちょっと怖い。ロンの言うところによると、鉄砲を撃つのはうまかったそうだ。なるほど。海兵隊を退役したら、退職金や年金やらで悠々自適で、掃除で働かなくてもいいくらいに余裕があるのかなと想像していたのだが、どうもこちらもそうではないらしい。
 ロン自身すでに60を超えているが、その父親が新車を買ったとドリスに聞いた。80位にはなっているだろうに新車を買うとはお元気なことである。その後その事をロンに聞いて見ようとしたら、その後亡くなったようだ。生きている人間の事を話そう、みたいなことをぼそっと言って口をつぐんでしまったので、詳しい話は聞けなかった。
 さて、このドリスとロンとの会話は、結構大変である。研究室の中の専門的な会話や、パーティーその他での同世代の仲間との会話、デリックみたいに日本アニメに詳しいとか、グラントの様に旧日本海軍に詳しいというう訳でもないので、予備知識のある話題で会話するというのでもないし、おまけに、特にドリスはぺらぺら良く喋るし、スラング混じりで、こっちの英語の能力に合わせようという気もないので、困ってしまうのである。
 このお馴染みのドリスとロンの他、若い子も雇われるのだが、大概長続きしていない。無断欠勤で首になったり、クローゼットでさぼって寝てて首になったりと、何人か入れ替わっている。クローゼットの中で寝てて首になったのはバーニーという男みたいな名前をした太った黒人の女性であったが、ドリスは、彼女はゲイっぽいと言っていた。女でもゲイというのだろうかと疑問に思ったので、後にデリックに聞いてみたが、女性にも使う事もあるが、一般には男性に使われるとの事であった。まあそれはともかく、若い子が首になる度仕事がきつくなるので大変なようだ。夜に会うと、後幾つクラスルームとバスルームが残ってるとかといっているが、なかなか大変そうである。ドリスは勤労賞だかでメダルとか商品券とかを貰っては見せてくれるが、確かにちゃんと勤めてくれれば賞も出そうというものだ。最近は、ジェームスというこれまた黒人の男が一緒に働くようになったが、彼は今の所真面目に働いているようだ。若く見えると思ったが、実は38才とのことで驚いた。黒人もアジア人同様若く見えるものだ。あんたもビール買う時苦労したことがあるクチだねって感じである。
 そういやドリスもロンも歳の割には若く見える、愛敬のある顔だちをしているが、ロンは62位で、ドリスも40半ばを過ぎている。ドリスの子供は男の子が一人に女の子が一人。女の子の方は、ドリスと同様、オハイオ州立大の別の建物で掃除をして働いている。写真を見せてもらったが、男の子の方は、えらくごつそうで、腕にはタトゥーを入れている。悪漢プロレスラーみたいな風情だ。会ってみたいようなみたくないような風貌である。若い時の子で、彼の歳も30弱で子供もいる。ドリスは既におばあちゃんである。
 しばらく前の事であるが、ドリスの従兄弟でデトロイトに住んでいるのが、銃で撃たれて殺されるという事件が起こった。デトロイトの治安の悪さは夙に有名であるが、実際に知り合いの身内が殺されたと聞くと、更に実感が湧いてしまう。恐ろしいことである。日本ではなかなか考えられない事である。
 従兄弟を亡くした後、ドリスは大ショックでもなかったようなのだが、気の毒な事に、つい最近、例の息子さんを亡くされたとロンに聞いた。ドリスは離婚しているので、息子や娘は大事であったろうに。死因は心臓麻痺。時々彼の事を聞いていたのだが、その彼に直接会うことは永遠になくなってしまった。その前日以降彼女には会っていない。一週間位は出て来ないであろう。
 ドリスやロンの事はそのうちこの滞在記に書こうと思っていたものの、無精しているうちに今に至ったが、息子さんを亡くされて悲しみにくれたドリスの顔を見てから書くのもなんなので、今の内に書いておこうかなと思って書いた次第である。

(April 18, 1999)

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