英語の勉強?(前編)
こちらアメリカに住むことになり、流石に無口で過ごす訳にも行かないので、まあそれなりには英語も勉強しないとな、とは思ったのだが、来る時に持って来た英語の教材などはさっぱり手付かずである。代わりに、日常の会話でいくらか向上が見られるかなと思ったのだが、まあ目覚ましい向上があるかというと、どうもそう簡単にもいかないようである。こちらに来る以前の状態から比較すれば、少しましになっているとは言えようが、元が元だけに大したこともない。
テレビを見るのも役にはたつはずと見ているが、漫然と見ていて、そうそう身に付くものでもない。でも無いよりはましなようである。耳の不自由な人の為に、クローズド・キャプションを表示する機能がテレビに付いているが、これは結構有難い。字幕が出たからといって読むのだって苦労なのだが、こちらは耳が不自由も同然なのだから無いよりよっぽどましというものだ。トークショーなど、なんでお客が笑っているのか字幕をみてやっと分かることもある。ただ、テレビ番組は映画の放送の他は字幕は大概ちょっと遅れて出て来るので、ジョークが分かって笑うのも遅れる。もしくは、字幕が読めず理解出来ない、あるいは読めて意味が分かっても感性の違いか面白く感じないということもあるので、笑えないことが多いのが残念である。
比較的新しい映画のビデオの場合、大概字幕が出てくれるので、これは有難い。字幕は台詞とほぼ同時に出てくれるので聞く方にも注意を傾けられる。字幕が台詞より少し遅れるテレビ番組の場合、どうしても聞く方か読む方のどちらか一方にしか集中出来なくなるので、いまいちなのである。
ところで、この字幕であるが、スポーツの生中継でも表示されているのをよく見る。誰かが大慌てでタイプしているのであろうか。生中継でも、1秒の遅れもなく放送されている訳ではなく、放送局に映像が届いて発信するまで幾らかの時間差があり、その間になんとかしているのではないかとデリックは言っていたが、実際そうなのかも知れない。生放送らしき番組で、放送コードにひっかかったと思われる言葉にbeep音がかぶせられていたのもその時間差に処理されたものなのだろう。
さて、英語の番組に英語の字幕も、聞き取りや表現に少しは慣れるのに良さそうだが、聞けも読めもしないとさっぱりになってしまう。番組など見るのに、いちいち辞書をめくる暇は勿論無い。そこで、ちょっといいかなと思えるのが、日本語の番組や映画に英語の字幕のついたものである。台詞の内容はお得意の日本語で理解、そして英語での表現を読んで理解しようというものである。その逆の英語の映画などに日本語字幕も又良いが、こちらで入手出来ない。また、日本にいる時映画の字幕版などレンタルビデオ屋で借りていた割にはいま一つ効果が無かったところを見ると、日本語番組英語字幕の方がちょっと効果が高いかも知れない。もっとも、英語の聞き取りの練習の役にはたたないが。
小さな子供が言語を覚えるのは、まず耳から、そして大人の言葉を真似して言葉を発するようになり、そして暫くしてようやく文字の概念を身につける訳だから、先ずは耳からのという訳で英語番組日本語字幕の方が良いのかも知れない。いや、それどころか思考も英語でということで、日本語に全く関係無く英語の番組をそのまま見るのが最良なのかも知れないが、もはや思考システムが日本語バージョンで動いているのだから、なかなかそうもいかない。日本語英語字幕版あたりで妥協しよう。
では、日本語番組に英語の字幕が付いたのが簡単に手に入るかというと、実は結構容易なのである。その事については、中編に譲ることにする。
(April 7, 1999)
トップページにもどる
目次にもどる