グラント

 グラントは、アメリカ人の学生で、同じ学部にいた。シビリアンでU.S. Air ForceだかArmyだかに所属していて、大学に学位を取りに来ていたようである。眼鏡をかけ、髪は七三に分けたよく喋るアメリカ人である。25、6といっていたろうか。よく二人で近くの飲み屋、BW3に行ったものだが、1年間ライトパターソン基地で研究して来るとのことで、6月の半ばにいなくなってしまった。来年又OSUに戻っては来るのだが、その頃は私自身が日本に戻っている筈なので、会う機会も殆どなくなってしまった。それがなかなか惜しまれる奴である。
 グラントについて、まず印象に残るのは、彼が旧日本海軍と日本のアニメーションに詳しいことである。彼自身が「おたく」と自称するくらいである。彼は、旧日本海軍の船やアニメの登場人物の名前などは覚えているくせに日本語は話さないのが残念なところではある。
 アメリカでも宇宙戦艦ヤマトは彼の子供の頃に放映されていたそうだ。"Star Blazers"とかなんとかというタイトルに変わっており、ヤマトもラルゴとかいう名前になっていたそうだが、沖縄沖に沈んでいたのが元になっていることやその形状から、あの戦艦は大和であると、子供の時分に知っていたというからなかなかのものである。ガッチャマンも見ていたとか。最近のアニメに関しては彼の方がよっぽど私より詳しい。
 Illinoisの大学を出ているが、その頃にアニメのクラブにいたし、日本の政治のクラスもとっていたとかで、結構いろいろな事を知っている。金属学の専攻だが、日本刀の構造についてレポートを書いた事があるといい、そのレポートのコピーをくれたりもした。アメリカ人というと、外国の事にはあまり興味もなく知識も無いのが多いかと思っていたが、中には妙な所に妙に詳しいのがいるので面白い。
 グラントは先に書いた様に良く喋る奴なのだが、話し好きのせいなのか、はたまた日本人に興味でもるのか、時々ひょっこり顔を出してはダベっていく。こちらがどの程度聞き取れているのか分かっているのか分かっていないのか、よく喋る。それはどういう意味かと尋ねると、その説明をべらべらと喋り出してドツボにはまることもままあった。こちらの言うことに対して、流れも変化するので、会話といえば会話になっているのかも知れないが、なにしろ彼が9割以上は喋っているので、本当に会話と呼べるのかは怪しいところである。もっとも、こっちが英語がぺらぺらであるとか、彼が日本語がぺらぺらであると仮定しても、その割合に大きな違いはないのではないかという気もする。
 大学の研究室には、graduetedの学生以上になると、意外な程アメリカ人は少ない。私のグループにもアメリカ人の学生は一人しかいない。しかもこの彼も、私が来て1年程経ってから来たので、もっとも良く会話の機会のあるアメリカ人といったら、やはりグラントであったろう。Native speakerとの会話は英語を身に付けるのによいかなとも思うしで、時折飲みにも出かけたが、なにしろ飲みながら話しているので、どの程度英語の勉強になっているかはいささか怪しいところではある。救いといえば、彼が、旧日本海軍、日本のアニメ、政治にも詳しいので、内容がつかみやすいという事であろうか。彼、フーという中国人と私とで第2次世界大戦の話題で長々と話したときには、流石に疲れたものである。
 ある日彼がダウンタウンのクラブにswing bandが来て生演奏をするので行かないかと言ってきたことがある。私は何かで忙しかった頃なのだが、行く事に。クラブだからちょっとフォーマルな格好をした方がいいと思うと彼が言う。どの程度かと聞くと、彼はジャケットにシャツにネクタイ、濃い色の靴下に革靴で行くと。フォーマルといっても、大体私の持っているのは、ジャケットに紺のスーツ位なものだから、なんか紺のスーツもあれだなあと思ったがそれを着ていく事にした。車で迎えに着た彼の姿を見ると、さっぱり日本でいう所のフォーマルには見えなかったし、そのクラブに行って見ると、自分のような格好をしてるのは極わずか、しかもファッションの積もりでスーツを着ているようなのしかいない。大体T-シャツの連中もいるではないか。浮いちゃうではないか。こちらで、カジュアルだけどちょっとはフォーマルに、なんていうと、半ズボンでなく普通のズボンに、T-シャツでない襟のあるシャツならよいなんて程度の事もあるので、ちょっとフォーマルの度合も注意が必要である。ヨーロッパ人も時々混乱するらしい。
 このグラント、6月中旬のColumbusを去る日の前日に、例によって顔を出したので、最後だから飲みにいこうぜと、例のBW3に行くことにした。翌日、昼食に行く途中か帰りにか、彼にばったり会った。頼みがあるというので、何だと聞くと、荷物で運び切れないものがあるので、私の家に置いてくれないかと。私の住んでいる所は地下室もあり、荷物はそこに置いておけるので、よいともと答えた。彼はその日の夕方に出発すると言っていた筈なのだが、その後なかなか連絡が来ない。結局全部運べて、今頃Daytonに着いているのだろうと思っていたら、なんと12時近くになって彼から電話。今何処だと聞くと、未だこっちのアパートだと。パッキングを手伝って荷物を運んでくれないかというのである。その時、私は寝不足で疲れていたのと、外は雨なのとで、ちょいと面倒には感じたのであるが仕方がない。行ってみると、彼の方は彼の方でこっちより疲れた表情である。前日飲みに行ったおかげでパッキングが遅れたようなので、こちらにも責任の一端があろう。パッキングを手伝い、どうにか終えて私の家に。結局その夜は私の家に一泊。翌朝はたしかざるうどんか何かを食べさせて見たと記憶している。そして昼頃に彼はフォルクスワーゲンに乗って出発。
 後日彼は家に置いてある荷物を取りにやって来た。もしかしたらこれが最後になるかと思ったら、暫く前にひょっこり顔を出した。実験か何かの用事で来ていたようである。いずれ又会うこともあろう。機会があれば、またBW3でBuffalo wingsでも食べつつビールを飲みたいものである。
 このグラント、テレビのポケモンで入院騒ぎがあったとか、旧日本兵で島にずっと住んでいた人(横井庄一さんのことである)が亡くなったねとか、何やらニュースを仕入れては顔を出していたものだが、それが無くなってしまったのがなんとも寂しいところである。紀宮様が可愛いと言ってみたり妙に日本通のところのある奴だったのだが。機会があれば日本に訪ねて来て欲しいものである。日本の飲み屋、カラオケ、パチンコなど彼が興味を持っているが現物を見たことのない所に案内し、どんな反応を示すのかみてみたいものである。

(August 29, 1998)

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