Tennessee旅行(後編)
オハイオ州はコロンバスからの長いドライブも無事済んで、とりあえず吉見さんのアパートへ。以前、蚤に悩まされたというものだから、よっぽど山の中のようなところにあるのかと思ったらそんなこともない。なかなか結構なアパートであった。天井から吊された扇風機が洒落ている。コロンバスでお邪魔した家やアパートでは見かけたことはなかったが、そこら辺は北部と南部の気候の違いのせいだろう。部屋には南軍の帽子が飾ってあった。ああ、南部に来たのだなあとちょっと実感。
吉見さんの部屋には、日本人に貰ったという週間サンデーが、ほぼ1年分山積みになっていた。お茶か何かご馳走になり、それを眺めつつ一休み。暫く見ることも無かったので何やら懐かしい。日本語の会話も楽でよい。ちょっとうだうだ。
このオークリッジ、ナショナルラボ関係で研究者が主に住んでいる街ということで治安はなかなかよろしいそうだ。筑波みたいなものだろうか。勿論、アメリカに比べたら日本は何処でも大概治安は良いのであろうが、商業や工業で栄えた街とは風情が事なるあたりが筑波っぽいような気がした。
そのうち、同じくナショナルラボでポスドクをしているという橋本君がやってきた。北大で博士号を取った後に来ているらしい。おお、日本人だということでこれまた会話が楽でよろしい。彼は自宅にMacintoshを買うことにし、吉見さんはそれに付き合う事になっていたそうで同行した。結局彼は購入し、自宅へと。吉見さんと私は夕食に。リブステーキが美味しいという店に案内され、リブを堪能。大きいのを頼もうということになり、食べ切れるかと心配であったが、結構大丈夫であった。味もなかなか。その後は吉見さんの家に戻って一泊。翌日は午後に出かけてナッシュビルに連れて行ってくれるということであった。
さて翌日、朝食をご馳走になる。先の橋本君、家でMacのインターネットへの接続で苦戦のようで、何回か電話を掛けてくる。ナッシュビルはそう遠くないし、どうせゆっくり出発して夜飲みに行けばいいということで、彼のアパートに吉見さんが手助けに行くということでついて行った。見ると彼の部屋にも吊した扇風機が。南部では一般的なのかも知れない。実は冷房が無いのであろうか?それはともかく、彼の部屋もなかなか落ち着いたものであった。アメリカに住んで、生活の便利さではさほど驚きは無いものの、やはり生活空間の広さはなかなかこたえられない。結局、モデムを介してのプロバイダーへの接続にも成功し、めでたしめでたし。申し訳ないことに名前は忘れてしまったが、もう一人の同世代の日本人もやって来ており、ちょいといいなあと思った。他にも日本人の知り合いはいるそうだ。おかげで久しぶりに日本語で随分話せた。そうこうするうち、結局出発はたしか4時を過ぎた頃になってしまったと思う。
ナッシュビルは高速で一走り、すぐ着くと言うことで、確かにそんなに遠い気はしなかったが、片道で170 miles強、考えてみたら現住所のあった仙台と実家の水戸の間の距離よりもあるではないか。しかしそこはアメリカ、高速は只でガソリンも安く、お金もさほどかからないし、景色も大きくは変らないものだからそれ程遠くに移動しているという実感が湧かない。行きには天気が悪いという予報どおり、途中の山道では雪が降っていたようで山は一刷毛うっすらと雪が積もっている。なんだかスキー場へ向かうときのような感覚であった。道が滑りやすくなっているのに、バンバン飛ばす車が多いのに吉見さんはぶつぶつ言っていた。もっともなことである。「狭い日本そんなに急いで何処へ行く」、「広いアメリカそんなに急いだってどうしようもない」、ということで、普通高速でえらく飛ばしまくっている車は多い訳でも無いのだが、天候に関わり無く、また、交通量に関係無く街の近くの混んだところでも飛ばす車が多い様に思われる。困ったものである。
さて、しばらく走ってナッシュビルに到着。車中ガイド本であたりを付けておいたホテルにチェックイン。荷物を置いて街を見物に。割と観光客もいる様であったが、年末であったのでそんなに賑わった感じもしなかった。テネシーの州都であるが、ライブハウスの立ち並ぶ賑やかな通りもそれ程大きい訳でなく、大したこともなかったと、研究室で一緒のパトリックから事前に聞いてはいた。しかしそこはやはりカントリーミュージックのメッカということで、ライブハウスも多く、カントリーの好きな人は一度は訪れて見るべき所であろう。
夕食は、吉見さんが前回来た時にあたりを付けていたという「一番」という日本料理屋に。ナッシュビルに来て日本料理も変なものだとは思うが、お互いアメリカに住んで、日本料理を食べる機会も少ないので、それもやぶさかではない。店員のお姉ちゃんは韓国人のようであったが、どうも主人は日本人と思われた。というのも、結構名の通った日本酒(大会社のという意味ではない)も結構おいてあったし、通好みしそうな品やら骨煎餅やら、日本人でないとメニューに加えそうもないものが見られたので。日本のビールを飲みつつ焼き魚やら焼き鳥やら寿司やらを食し、更に止めにラーメンを食べて満腹を超える満腹となった後に、重い腹をかかえてWild Hourseというライブハウスに。ナッシュビルではかなり有名な所ということであった。後日パトリックにに聞いた所によると、彼も同じ所に行っていたそうだ。ステージの前はダンスホールになっており、客がカントリーで踊っていた。カントリーで踊っているのを見るのは初めてである。ちょっと特殊なステップが混ざる。なんでも踊れるものだと感心。ビールを飲みつつ見物。また、店内に備えられたモニターで見るロディオ大会の様子も、なんだかアメリカらしくて興味が持てた。
さて、そんな感じでライブを眺め、それからホテルに。なにせ満腹の後にビールを飲んだのと旅の疲れで、もう一軒程小さなライブハウスで飲んでもいい時間ではあったが、おとなしくホテルに帰った。そしてそこで一泊。
翌日は午前中に出発して、オークリッジの隣のノックスビルという街の韓国料理屋で昼食を。また、ノックスビルのオリエンタルの食料品店やモールを見物。オークリッジはさほど大きな街でないということで、アジア系のレストランや買い物には車で来るという話であった。ひとしきり見物してから吉見さんのアパートに帰った。
帰り着いて一休み。あんまりお腹も空いていないので確かうどんで済ませたと思う。翌朝日本に帰省するという橋本君もやって来た。ナッシュビルで吉見さんが買ったジャックダニエルスのショットグラスを借りてジャックダニエルスを飲みつつお喋り。やっぱりテネシーに来たからにはテネシーウイスキーだぁねってことで。
いやはや日本語での会話は楽でよろしい。言わずもがなだが。橋本君がワシントンだかの博物館で撮ったという心霊写真を見せて貰った。その心霊らしき部分だけグレーになっているがコントラストは異様にはっきりしている。まるで白黒写真の大きなパネルが置いてある様な感じだが、そんなものはなかったという。その心霊は、昔の自転車が展示されている所に写っているのだが、その中の一台のハンドルに手を掛けており、確かに立体らしくパネルのようなものでも無さそうだった。その霊らしき人影はなにやら中性風の服を身にまとっている。服装の古さからすると、彼の眺めている前輪と後輪の大きさの等しい自転車よりも以前、前輪の大きい自転車、いや、それどころかアメリカ開拓以前のような風貌であるのだが・・・。博物館のもっと古い展示品にくっついて来て、彼にとってはもの珍しいと思われる自転車を眺めているかのようである。そんな感じなので、心霊写真ということばから連想するような恐ろしげな感じは無いのだが、なんとも奇妙ではある。橋本君が嘘をついている訳でもなさそうだし、かといって理系で博士号を持った3人が心霊の存在を肯定してしまうのもちとためらわれるし・・・。自分で写したものだとかなり信じない訳にもいかなくなりそうだが・・・。さてどうしたものだろう。そんな訳で、心霊関係の話題も暫く続いてしまった。
そんんこんなで話し込むうち、翌朝日本に発つ橋本君は飲んでいなかったが開けたばかりのジャックダニエルスは空になってしまった。ボトル半分強を飲んだのは生まれてこのかた先に一度しかない。自分は大して飲まない方なのでこれは結構な量である。3時位にお開きに。私はすかさずベッドに潜り込んで眠りに就いてしまったので橋本君が帰る場面を記憶していない。
翌朝はちょうど9時に目が覚めた。自分は少しでもお酒を飲むと顔が赤くなるが、結構飲んだ翌日でも、二日酔いの経験は殆ど無い。しかし、この時ばかりは、おお、これこそ二日酔いというものであるのだな、という感覚を得た。つまり初めてのそれらしい二日酔いの経験であった。吐き気がするまでひどくはないものの、えらくだるい。これからコロンバスに帰るにはかなり億劫という感じであった。暗くなる前には帰り着きたいなとは思っていたものの、早めに出発するにはだるすぎる。ということでしばらくうだうだしていた。悪いことには外では雪も降っている。結局出発したのは11時過ぎであったと思う。ドライブが面倒になったら、中間地点のレキシントンででも一泊しようかということで、とりあえず出発。
走っていると、それなりに気分も復活。ケンタッキーに入り、レキシントンで渋滞がみられたので、その機会に昼食を。ちょっとゆっくり休む。再び走り出す頃には渋滞も無くなっていた。しかし雪は未だ降りやまない。交通量が多い為、路面は湿っているだけで問題はないが、時々視界は悪くなるし、大きなトレーラーの近くを走ると飛沫が来るので結構面倒であった。そんなこんなでいつのまにやらオハイオに入りシンシナチを過ぎる。シンシナチまで来ると、結構家も近い感じである。雪も見られなくなっていた。結局そのまま家にたどり着いてほっと一安心。体調は二日酔いからの復活分、ドライブ疲れが蓄積しているので差引とんとんという具合であった。大体7時間半程の時間、思ったよりは順調なペースで帰り着くことが出来た。
以上が年末テネシー旅行の顛末である。長時間のドライブは面倒でもあったが楽しむことも出来た。テネシーでは吉見さんに色々と案内して貰いこれ又旅行を満喫。という訳で吉見氏に感謝申し上げる次第である。機会あればテネシーのグレートスモーキーマウンテンも見物してみたいと思うので、何卒そのおりはよろしく・・・。
(Mar. 10, 1998)
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