Columbusの冬

 この、夏の真ん中の時期に今頃冬の話もないものだとは思うのだが、まだいささか記憶の残っているうちに記しておきたいと思う。ここOhio州はカナダに面したアメリカの北部であるから、冬は結構寒い。こちらに来る前に、こちらのボスのProf. Frankelに聞いた所ではその時の冬は最低気温が-20℃程になったとか。Below 0(V)ということもあるのだそうだから、日本の東北、仙台からやってきた私としてもちょいと恐れるところである。車のエンジンもかからなくなるんじゃなかろうかとか、アラスカに住んでいる人みたいな厚着をする必要があるかもとか、色々心配したのではあるが、結論を先に言うと、この前の冬は予想外に楽であった。
 こちらに住んでいる人は、異常な暖冬だと言うのだが、確かにそうだろう。エル・ニーニョの影響であったのだろうか。日本でも暖冬のようで、長野オリンピックが近くなっても雪が少なくて心配されたものだが、その後東京でも異常な積雪量を記録したりと、冬らしくなったようだが、こちらは大した事がないまま終わってしまった。暖冬は有難く、別に厳しい冬を期待していた訳ではないのだが、ちょっと肩すかしを食った気分ではあった。
 それなりに気温は低くなるのだが、大学は全館暖房。それほどは外に出る時間が長い訳でもない。行き帰りのガレージとの往復と、昼食をとりに外に行く位のものである。寒い冬を心配して、車の窓に付いた雪や氷を融かすスプレーやブラシは用意していたものの、大学でも家でも車は屋根付きのガレージに停めているので、そんなに利用する事もなく終わった。雪も降るには降るが、乾燥していて風に飛ばされるのか、そんなに積もらないし、路面にはこれでもかと言う程融雪剤が撒かれるので、運転に困るということも殆ど無かった。去年積雪が少なくて、融雪剤が余っているので消費してしまおうと景気良く撒いているのだという話を聞いたが、その真偽は知らないがそれも納得できそうな勢いであった。只一度、遅く帰った時に路面が凍結してつるつるだったのが怖かったことがあるが、道路が平らなのでさほど問題もなかった。今回の冬に限って言うならば、仙台よりましであった。特に仙台では山の中腹に住んでいたものだから、雪が積もると坂が怖かったものだが、こちらは州全体を見渡しても平らなので、その点では困らない。Clevelandとか、場所によっては雪も結構積もるらしいが、Columbusは比較的積雪も少ないようであるし。
 前述の様に大学の建物の中にいるぶんには、殆ど気にならなかった。東北大の私のいた研究室ではドラフトチャンバーが常時稼働していたものだから、万年すき間風状態だったし、廊下も寒かったものだが、こちらの様に全館暖房は有難い限りである。家では地下に古いがでかいガスヒーターが備えられているので、家の中はまずまず暖かい。仙台あたりはそれより北の地方のような二重窓ということは少なく、安普請の北限の様な感じで、そこで小さなストーブで暖を取っていたのに比べると楽である。もっとも、わが家の場合、どうしても1階と2階の温度差が出来てしまい、1階は寒くて食後は直ぐに2階に上がるようになったが。その名残で、今もテレビは2階に置いてある。
 そんな感じの冬で、思った程の苦労は無かったが、残念だったのは、冬はほとんど、連日の曇り空だったことである。ちょっと曇っているという感じではなく、厚い雲に覆われて、なんだか薄暗く陰々滅々とした風情なのである。朝は薄暗くて起きる気が今一つになるし、休日でも、それほど寒くなくても、何処かに出かける気も起きない感じなのである。どうもそれが標準的な冬の天気らしく、地元に住んでいる人でも欝になるとか。まあ、そうは言っても、この間の冬はそんなに厳しくなくほっとしているのだが、帰国前にもう一度冬を過ごすことになる。この次の冬はどうなることやら。それについては、来年の春にでも書いてみようと思う。

(August 21, 1998)

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