二度目のコロンバスの冬

 以前にコロンバスの冬について書いたが、今回の冬も、春になった今思うと、喉元すぎればでか、全体として見ると暖冬だったように感じる。一年前の冬も、恐れていた程では無かったが、今年もそれ程でもなかった。
 とはいえ、一年前よりは寒かった。殊に12月、冬もこれからという頃には、流石北部の本領を発揮しているなと思った。記憶に有る限りで、-18℃が最低か。風速を考慮した体感温度ではもっと低く、below 0(V)になっていたようだ。去年は、外を歩くのに毛糸の帽子をかぶる程でもなかったのだが、今回は帽子、手袋は手放せない。雪も多かった。去年は雪は降っても、何時の間にやら何処かへ飛んでいってしまい、大して積もったという事もなかったが、今年は何回か積もった。
 極端に寒い日は、冬の始まり位だけだったのだが、その後も-10℃を下回る日は時々有り、雪も降った。道路の雪はまめに除雪さえるので、そんなに困った程でもないのだが、歩道には雪が残る。嫌なことには時々雨も降る。それで雪が溶けきってくれれば問題無いのだが溶けきらず、がちがちのアイスバーンができ上がってしまうのだ。歩くのには苦労であった。歩道も除雪が行き届いてくれればいいのだがそうもいかない。
 困った事には、家のガレージに駐車する時、タイヤがスタックする日が何度かあった。一度真夜中にガレージの手前で、にっちもさっちもいかず困っていたことがあったのだが、裏向かいの家のおばさんがちょうどごみを出しにだか出て来て、車を押してくれた。感謝である。割と図体の大きなおばさんであったのだが、こちらの女性は日本人に比べると力仕事を嫌がらない感じがする。研究室の孫もいるシンディーというおばさんも、結構重い机など運んだりする時も自らやる。レディーファーストのお国といえ、意外にやるものである。逆に日本の方が女性に重いもの持たせる機会は少なそうだ。体力的な差もあるのかも知れないが。そういえばこの間バレーをしに行った時にアメリカ女性が大分混じっていたが、彼女等のサーブはかなりの威力であった。うっかりすると、東洋人のちっこいのよりは力があると思っているかも知れない。
 ガレージに駐車する時に困ったのはその後も何回もあった。おばさんに又協力してもらう程ではなかったものの、数度トライしてやっと入れられるという感じで。4シーズンズのタイヤのままなのもあるけれど。こちらの人はみなタイヤを変えない。坂も少ないし、除雪も頻繁なので、スタッドレスに変える程でもないのである。仙台にいた時より、この点では楽であった。
 雨が降ったり冷え込んだりすると、面白いものがみられる。それは、木々の枝が、数ミリの氷に覆われて、日の光にきらきら輝く姿である。ちょうどじゅんさいにも似たような覆われ方である。写真に撮っておきたいなと思ったのだが、一回夜中に撮影したきりである。また見られるさと思っているうちに、それ程寒くなくなってしまった。
 冬の始まりはかなり寒かったと書いたが、何故か、年間通して最も寒くてよさそうな2月は比較的寒くなかった。2月には冬の始まりより寒くなるだろうと思っていたので、なんだか拍子抜けだ。寒くなった方がいいと言うのではないのだが、その後も、最初の頃ほどの寒さがなくなってしまい、こんなものかなあ・・・と思っているうちに、春になってしまったのである。3月も寒さはそれ程でなく、4月になると、だいぶ陽気もよくなって、桜は仙台より早く咲くしで、振り替えってみると、結局、流石北部と感じたのは最初だけであった。
 去年の冬は毎日が厚い雲に覆われてどんよりとしていたのが印象深いの。去年よりは晴れた日も多く、晴れると放射冷却で冷え込むのだろうが、陰鬱な感じでもなかったのがよかった。今年は去年に比べると寒かったが、そんなに寒さが長続きもせず、結局今振り替えると、大したことかったかなと思う訳である。さほど寒くないのは有難いのだが、ダイアモンドダスト現象の一回も見てみたかった気もする。

(April 18, 1999)

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